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〈bookrium=book+aquarium〉本の海を回遊するブックリウムの、本と陶芸のある生活です。


by bookrium
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カテゴリ:当世本二十四節気( 57 )

寒露(かんろ)……寒さで、草の露が冷たく感じるようになります。


〈一夏過ぐその変遷の風かみにするどくジャック・チボーたらむと〉
小池光

この句を知ったのは、久世光彦さんの『人恋しくて 余白の多い住所録』で、高校生の時だった。

〈何千枚の大作よりも、ある日出会った三十一文字の方が重いことがある。その日から、一生体にまとわりついて離れないことだってある。あるいは、たったそれだけのフレーズによって、人は一日を生きる。〉


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『黄色い本』は講談社から2002年に出た高野文子の漫画。
物語のはじまりで、高校3年生の田家実地子は雨のバスの中で本を読みふけり、バス酔いする。彼女の読んでいたのは、「LES THIBAULT」と表紙に書かれた〈黄色い本〉――『チボー家の人々』の1巻だった。
実地子は両親と弟、そして父親が入院中の幼い従妹と一緒に、ある雪深い地方の町に暮らしている。
図書室から借りたロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』は5巻まであって、実地子は、家でも、学校でも、家事を手伝っている時でも、ジャック・チボーという同い年の家出をした少年の物語が離れない。皆が寝ている夏の夜に読んだ、ジャックが級友と交わす1冊の秘密の灰色のノート。そこに書かれていた言葉。電気を消した真っ暗な部屋で、実地子は天井に両手を伸ばし、眼を覆った。暗闇の中で眼を開いた実地子に、その言葉がよみがえる。

《命をかけてきみのものなる――― J(ジャック)》


深夜にやっていた外国映画の俳優とジャックのイメージが実地子の中で重なり、第一次世界大戦前後のフランスに身を置く彼と、友達になれそうなくらい考え方が似ていると感じる。――《ほめられたらいかれ/よろこんだらはじろ》それは父親にほめられておどけた時にも浮かぶ。そんな実地子に父親は、〈おめが将来どこに勤めることになるだか 俺(おら)はわからねども/おめでねば編めねえようなセーターを編む人に/なればいいがなぁと/俺は/思うんだ〉と言った。〈創造性のある?〉と実地子が真剣な顔をすると、父親は〈おう〉と笑う。それを見た実地子は〈そうだね〉とやさしくほほえむ。このくだりが好き。

家族を大切にする父親を見ながら、〈自分の好きな人を/大切にすることは/それ以外の人には/冷たくすることに/なるんで/ねえの/ねえ/トーチャン〉と心の中で問いかけながら、部屋の電気を点ける。不意に、テーブルに人形を寝かせたちいさな従妹が、〈実ッコちゃん〉と呼びかける。〈電気つけると/暗いねえ〉〈ええ?/明れえよう 電気は〉〈電気つけると夜んなったねえ〉〈ああ/夜んなったねえ/外は〉

実地子は生活の中で、常に対話しながら、考えながら本を読む。《自分の 行動と 思想 それは つねに共でなくてはならないんだ!》バスでおばあさんに席を譲った時も。しかしそれが幸福なのか?と考えた時、風邪をひくと母親に本を取り上げられる。
冬になり、勉強にも身が入らない状態だった実地子も、学校で職場の説明を受ける。
図書室に本を返却する前に、第5巻の残ったエピローグを読みながら、実地子は物語をなつかしく思い出し、ジャックに呼びかける。
〈家出をしたあなたがマルセイユの街を 泣きそうになりながら歩いていたとき/わたしが その すぐ後を 歩いていたのを 知っていましたか?〉
〈いつも いっしよでした/たいがいは 夜/読んでいない ときでさえ/だけど まもなく/お別れしなくては なりません〉

外の雨と、実地子の頬の涙が重なった時、『チボー家』の世界の人々が問いかける。

 ――極東の人/どちらへ?
〈仕事に…/仕事につかなくてはなりません〉
 ――それはそれは
 ――なるほど
〈衣服に関する/仕事をします/……たぶん/服の下に 着る物を 作ります/これからの 新しい 活動的な〉
 ――ふむ それは重要だ
 ――たしかに
〈革命とは やや離れますが/気持ちは持ち続けます〉
 ――成功を いのるぜ
 ――若いの!



春が近づき、その本買うか?と父に聞かれても、実地子はいいよう、と断る。〈好きな本を/一生持ってるのも いいもんだと/俺は/思うがな〉と笑う父。実地子の眼に、黄色い本の奥付が映る。チボー家の人々(全五巻)第五巻。訳者 山内義雄。一九六六年五月十日三八版発行。白水社。


図書室に本を返し、実地子はジャックと別れの日を迎える。自分で本棚に収めた5冊の黄色い本が並び、ジャックは実地子に呼びかける。

 ――パリでぼくを尋ねるならば
   ユニベルシテ町に兄がいる
   留守の場合は メーゾン・ラフィットへ
   ことづけてくれれば連絡が
 ――知っているわ リラの花の咲いている家でしょう
 ――良く 知っているね 
 ――ええ
 ――いつでも来てくれたまえ
   メーゾン・ラフィットへ




『黄色い本』が多くの人々に読まれ、高い評価を受けたのは、大人になる前の実地子とジャック・チボーの物語が、多くの人の読書体験に重なったからだろう。ちがう時代や性別や本だとしても、実地子のように現実の生活の中で、対話し、考え続けながら読む。そして、いずれは自分で生活していかなければならない。ジャックはいつでも待っていて、実地子はいつでもメーゾン・ラフィットへ行ける。図書室の本が手元になくても。
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高野文子は、少年少女向けの、2003年発行の白水社『チボー家のジャック』新装版の装丁をてがけた。黄色い本の函にかかった茶色い帯には、このような言葉が書かれている。

《ジャック・チボーとは学校の図書室で出会った。その日から、彼は私の大切な友達になった。》

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           《――いつでも来てくれたまえ
              メーゾン・ラフィットへ》




by bookrium | 2009-10-08 02:07 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)

秋分――『メッシュ』

秋分(しゅうぶん)……太陽が秋分点に達し、昼と夜の長さがほぼ同じになる日。この日を境に、夜が長くなる。



           〈あなたが

            そうと
            望むなら

            花にも
            鳥にも
            娘にも

            この姿を
            かえたのに
 
            たとえば
            千の
            死体にも〉



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小学館「萩尾望都 Perfect Selection」の『メッシュ』。表紙が白地に銀色の描線できれいな本。
1980年から1984年に発表された、パリを舞台にした連作集のこの漫画が好きです。


贋作画家のミロンはある晩、腕を折られた美しい少年を拾う。金髪に、こめかみが白銀の二毛色(メッシュ)。母親が駆け落ちし、スイスの山奥の寄宿舎に入れられていたが、12歳の時に銀毛が現れ始めると、後妻と娘のいる父親は掌を返した。今まで我が子だと信じていなかった〈メッシュ〉に母親の悪口を吹き込み、心の支えにしていた彼の母親像をずたずたにし、自分の手元に置こうとする父親〈サムソン〉。メッシュは自分の精神を引裂いた父親への復讐――父を殺し、自由になることを考えている。そんなメッシュを見てミロンは考える。

〈あの晩/オレが拾ったのは/なんだったんだろう?
 天使じゃなくて?/悪魔でもなくて……?
 二毛色(メッシュ)の…?/なんて生き物を/拾ったのだろう……?〉
《メッシュ》


ミロンのアパートの居候になったメッシュ。殺し屋の銃を手に入れ、サムソンを撃つが失敗してしまう。〈あいつがいる限りオレは人間にはなれないんだ/一生あいつにおしつぶされつづけるんだ〉〈……どうしてオレは/こんなにひとを憎めるんだ?〉泣きながらそう言うメッシュ。修道院のような寄宿舎で、ただ自分の名前を呼んでくれる、優しい父が来てくれるのを夢見ていた。ミロンは父親の代わりに、メッシュの本当の名前を優しく呼んでやる――〈フランソワーズ〉と。《ルージュ》
無彩色のパリの美しい街に、ためいきのように白い雪が降る。ミロンの描いた偽のユトリロを売りに、郊外のムッシュ・ブランの屋敷へ行ったメッシュたちが巻き込まれる騒動。《ブラン》
番地を間違えてミロンのアパートにやって来た女性ココに頼まれ、公演を手伝うことになったふたり。ミロンは幕の絵を描き、メッシュは死神役をすることに。劇団員たちの人間関係に巻き込まれ、あやまって演出家を殺したと勘違いしたメッシュは街に飛び出してしまう。〈ずっとずっと昔はね/誰かを愛してたような気がするんだけど/でも/あまり昔のことでわすれた……〉自殺しようと夜の街をさまようメッシュは、自分に優しくしてくれたミロンのことを思い出し、手紙を書こうとするが。……《春の骨》
14で家出してパリに来たメッシュがもぐりこんだ裏町の世界。《モンマルトル》
雨夜の公園で悲しそうに歌っていた美しいジュヌヴィエーヴ。女に間違われたメッシュは、はじめての恋をする。《革命》
未婚でミロンを産んだ、亡くなった母の故郷からきた突然の手紙。海のそばの小さな田舎町をひさしぶりに訪ねたミロンと、勝手について来たメッシュ。ミロンに冷たい町の人々。それはミロンの少年時代にあった海難事故のせいで……。《耳をかたむけて》
顔に矢が刺さって星のような跡がある画家のエトゥアールと知り合ったメッシュ。彼のアトリエで天使のモデルのアルバイトをすることになるが。《千の矢》
いつも母に美人の姉と比べられ反発している不良少女ルーと、ひょんなことから出会ったメッシュ。《苦手な人種》
パリのパトロンのパーティーにやって来たドイツのデザイナー・オズと恋人ダーダ。人手が足らずモデルをすることになったメッシュは、オズの学生時代の友人マルラと夫ルシアンの関係に巻き込まれ……。《謝肉祭》
雑誌に載った、オズのモデルをしたメッシュの写真を見て、ある男から電話がかかってきた。メッシュの母親〈マルセリーナ〉の名前を知っていた男。彼ルイードはマルセリーナの再婚相手の息子だった。何もおぼえていない母親が生きていることを知ったメッシュは動揺する。一緒に暮らして1年になるミロンが、メッシュの義母エーメから金を受け取っていたことを知り、喧嘩した勢いでルイードと一緒にマルセリーナに会いに聖モーゼルへ行く。《シュールな愛のリアルな死》


マルセリーナ――マルシェは心を病んでいた。自分の産んだ〈フランソワーズ〉は女の子だと信じていて、メッシュのことをわからない。ルイードはマルシェの心を占める〈フランソワーズ〉に嫉妬し、乱暴してしまおうとかつて不良仲間に言っていた。それにのった男たちがルイードに内緒でメッシュに襲いかかる。

〈だけどあんたたちは娘がほしいんだ
 あんたも/マルシェも/ルビエ氏も/あのパジャンたちも だ
 フランソワーズという娘が
 その名前は母親がつけた
 そしてそのとおりにオレはやってる
 あんたたちの望みどおりにさ
 セリフを決められたしばいをやるみたいにさ〉


ルイードにそう言うメッシュ。迎えに来たミロンに〈……人間から生まれたくない〉と言っても、自分のことをわからない母親、彼女の望みが何か、どうしたらそれに近づけるだろうかと考えてしまう。そんなメッシュをマルシェの狂気が襲い……。


時間をかけて、いろんな出会いを経験したメッシュ。成長していくメッシュに重なった、この物語のラストは、非常にうつくしかったです。


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            〈あなたが
             そうと
             望むなら

             花にも
             鳥にも
             娘にも

             この姿を
             かえても
             よかったのに

             それは
             愛では
             ないにしろ〉

by bookrium | 2009-09-23 00:09 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)

白露――『天守物語』

白露(はくろ)……秋の気配が感じられる頃。大気も冷えてきて、朝夕に露が見えはじめます。秋草が揺れ、虫の音も聞こえます。


〈――そうおっしゃる、お顔が見たい、唯一目。……千歳百歳(ちとせももとせ)に唯一度、たった一度の恋だのに。〉


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播州姫路〈白鷺城〉の天守に、魔物が棲むという。
物語の始まりで、天守夫人〈富姫〉の侍女たちは唄いつつ、五重の天守から秋草を釣る。白露を餌にして。
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〈千草八千草秋草が、それはそれは、今頃、露を沢山(たんと)欲しがるのでございますよ。刻限も七つ時、まだ夕露も夜露もないのでございますもの。〉

侍女の〈葛〉は奥女中の〈薄〉にそう言う。
富姫の妹分、猪苗代の〈亀姫〉が手鞠をつきに遊びに来るので仕度をしていたところ。富姫から見れば長屋の主人、姫路の城主、播磨守が鷹狩に出たので、霧を渡って輿で訪れる亀姫に不作法があってはと、富姫は〈夜叉ケ池〉の主〈白雪姫〉に嵐を頼んでいた。
〈朱の盤〉〈舌長姥〉らを伴って、亀姫は天守に到着する。富姫への土産は、播磨守と兄弟の、亀姫の棲む亀ケ城の城主の首。富姫はそれを獅子頭に供え、獅子は首を呑み込んだ。
亀姫への礼にと、富姫は白い雪のような翼を持つ鷹を播磨守から奪い、地上からの矢や鉄砲を虫のように払う。
亀姫が去ってしばらくすると、ひとりの男が天守に上って来た。武士の名前は〈姫川図書之助〉。

〈百年以来、二重三重までは格別、当お天守五重までは、生あるものの参った例(ためし)はありませぬ。〉


そう言う図書之助は播磨守の命で、天守に隠れた秘蔵の鷹を探しに来た。

〈翼あるものは、人間ほど不自由ではない。千里、五百里、勝手な処へ飛ぶ、とお言いなさるが可い。〉


富姫の言葉に従う図書。生ある人ではない姿を見、どうするつもりか姫が訊くと、この天守が貴方のものでも殿のものでも、〈いずれにいたせ、私のものでないことは確でございます。自分のものでないものを、殿様の仰せも待たずに、どうしようとも思いませぬ。〉と〈すずしい言葉〉で図書は言う。その心のために、図書は姫に許される。もう来てはならぬと、〈此処は人間の来る処ではないのだから〉と言われて。……

天守から降りる途中で蝙蝠に燈を消され、図書は再び富姫の元を訪れてしまう。暗闇で男が足を踏み外し怪我をするより、姫に生命を召される方を選んだのだ。その勇ましさに姫は惹かれる。
図書は切腹を命じられていた。鷹匠の彼が播磨守の白鷹を天守に逸らした罪だという。その鷹は姫が取ったのだと聞き、図書は思わず刀に手を掛ける。

〈鷹には鷹の世界がある。露霜の清い林、朝嵐夕風の爽かな空があります。決して人間の持ちものではありません。〉


美しく気高い姫君に、自分の身、心、生命を捧げられても、図書は地上にまだ親や師の未練があった。
清い心を持つ図書に、富姫は天守に上った記しの品と家宝の青竜の兜を渡す。〈今度来ると帰しません。〉と告げて。
かねてからの望みに叶った男を、自分の力で無理に引き留めることも本当はできた。でも、力で人を強いるのは播磨守のような者のすること。

〈真の恋は、心と心、……〉


そう呟く姫の元に、兜を盗んだ逆賊と知らぬ罪に追われた図書が逃げ込んで……。

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泉鏡花の戯曲『天守物語』は高校生の時に読んだり(そのころ映画になった)、写真の波津彬子さんの漫画で読んだりしました。この文庫の漫画は、9年位前に、泉鏡花記念館に初めて行った時にショップで購入。『天守物語』の他にも戯曲『夜叉ケ池』『海神別荘』と、巻末では泉鏡花記念館を訪ねる漫画も載っています。解説は人形師の辻村寿三郎。
『夜叉ケ池』では、池の主〈白雪姫〉が白山の〈千蛇ケ池〉の若君に恋わずらいをするのですが、千蛇ケ池は中学1年生の時、学校の白山登山のついでに希望者だけで見に行きました(当時は千蛇ケ池の昔話を知ってたので見たかった)。鏡花も登っただろか?

『天守物語』は富姫と図書の恋だけではなく、姫の過去や獅子頭の伝説、姫の百姓への思いやりと私欲のない鳥の自由さが印象深いです。

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by bookrium | 2009-09-07 14:58 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)
処暑(しょしょ)……処暑とは暑さが去ることを意味しています。朝夕に冷気が加わって暑さがやわらぎ、涼しさを感じはじめます。


〈僕は思わず、息を呑んだ。
 姉の白い手が伸びた。何をするのだろう、と思ったとき、その白い手は男の肩を突いたのである。男は奇妙な動作をした。それは、何か眼に見えない綱にでも?まろうとしているかのように見えた。それから、両腕で大きく空気を掻きながら水に落ちた。落ちた男の片足が、宙に突出た。そして消えた。同時に、鋭い悲鳴が水音を引裂いた。悲鳴をあげた妹は、姉を両腕に抱くと、二人重なって背後の土堤にたおれ掛った。
 それは、一瞬のことであった。〉


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『村のエトランジェ』は小沼丹(1918~1996)の最初の作品集で、昭和29年11月にみすず書房から出版され、同年の上半期芥川賞候補にもなりました。
久世光彦さんが『昭和幻燈館』で紹介していて、17歳の時に一度読みました。短く、静かに明るい文章。

戦時中、小さな村に疎開してきた〈僕〉。〈僕等〉??同じ中学一年の〈センベイ〉と〈僕〉は、三日間降り続いた雨で増水した河に冒険に来ていた。戦争が終わり、もうすぐ〈僕〉は東京に帰ることになっていた。彼等――「凄い女」と噂された美しい姉妹と、突き落とされた詩人の男も、東京に帰るはずだった。
センベイは足の悪い詩人が石から滑ったと村人に言う。センベイはあの白い手を見なかったのだろうか? あれは夢だったのだろうか?……

戦争が終わる少し前、姉妹が疎開してきたことは狭い村に知れ渡っていた。両親も亡く、姉は戦争で夫を失っていた。何も〈僕等〉を驚かせてくれなかった村に、〈モンペもズボンも穿かない〉姉妹は、新鮮な驚異をもたらす。
〈僕等〉は眼の大きな妹を〈睡人形〉、マンドリンを奏でる姉をその曲から〈カプリ〉と名付ける。詩人をめぐる姉妹の関係を傍観していた僕等。詩人は姉妹のどちらが気に入っていたのだろう?  僕等には分からない。ただ、僕等は詩人が河に落ちるのを目撃する。
村の駐在所の巡査にも、センベイは詩人が足を滑らせたと言った。センベイは出鱈目を言ったのだろうか? 

〈――ほんとに見たの?〉


カプリは僕等にちらりと笑って訊ねた。〈僕等の答を聞いたカプリは、妙な微笑を浮べ、それから何かのメロディを口誦んだ。僕はその白い手から逃げ出すように、急いで姉妹に別れを告げた……。〉

僕はセンベイに何を見たか訊かない。センベイも何も言わない。
カプリも睡人形も詩人も、この村ではエトランジェだった。東京へ帰る僕も??。

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2009年に出版された講談社文芸文庫の解説で、長谷川郁夫氏はこう書いています。

〈「村のエトランジェ」一冊は、小沼丹戦時期の心象風景の記録でもある。
  エトランジェの胸中には空の青のように透明な虚無感がひろがっていた。〉

久世光彦さんは『昭和幻燈館』の「真青な死」という文章で、小沼丹とこの作品のことを、こう書いています。

〈「村のエトランジェ」は、私にとってひときわキラキラ輝き続けて色褪せない一篇なのである。この小説にしかない何かがある――それは多分、あの年の、あの夏にしかなかった日本の青空なのである。私たちの世代が死ぬまで追い続ける幻の青空なのである。年譜によれば小沼丹はその年の夏から十月まで、信州更級に疎開していたというから、信州の空もあの年きっと青かったのだろう。何かが終った青さなのか、何かが始まろうとする青さなのか――私たちはいつまでもそんなことを考え続けながら死んで行く世代なのである。〉




by bookrium | 2009-08-23 14:50 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)
立秋(りっしゅう)……秋の気配をはじめて感じる頃。この日から立冬の前日までが秋。実際には、秋になってなお残る暑さ、残暑が続く時期。


〈初めて会ったとき、ブレンダはぼくに眼鏡を持っていて、と頼んだ。それから、飛び板の端まで歩いていって、ぼんやりした眼つきでプールを見下ろした。プールにたとえ水がなくても、近眼のブレンダには判らなかっただろう。みごとに飛びこんだが、すぐプールの脇のほうへ泳ぎ戻ってきた――短く刈りこんだ鳶色の髪の頭をまっすぐ前に、まるで長い茎の先のバラみたいに伸ばした格好で。〉

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by bookrium | 2009-08-07 20:56 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)
大暑(たいしょ)……太陽が黄径120度を通過する日。暑さが最も厳しい時期。大暑を過ぎれば夏も終わり。


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1972年(昭和47年)5月15日、沖縄は本土に復帰した。
曾野綾子の短編集『星と魚の恋物語』。新潮社から、作品集は1972年(昭和47年)6月に、文庫は1977年(昭和52年)に初版が刊行された。曽野綾子はあまり読んだことがない。題名の美しさ、〈星の章〉〈魚の章〉〈恋の章〉というのと、巻末のコルベ神父の話に興味があった。


沖縄の中学3年生、具志堅健次はひどい吃りだった。勉強するより体を動かすことのほうが好きで、母親が女中として住み込んでいる南風荘の仕事も嫌がらずに手伝っている。

〈吃るので、客に接する所へは出されないで済む。そのことだけで、充分ありがたい。或る日学校で「幸福」という題の作文を書かされた時、作文の苦手な健次は困ってしまったが、自分は確実に「こうふく」のような気がしたのだ。
「ぼくはこうふくです。こうふくでないということは、どういうことなのか、よくわかりませんが、ぼくはずっとこうふくでした」〉


父親の顔も知らない健次は、皆からいくらか不幸な子だと思われているらしい。しかし健次は、「ふしあわせ」ということはもっと直截な形だと思っている。
中学を出た春、健次は沖縄に来た人買いの誘いで、金沢でコックの仕事につく。見たことのない〈雪の降る土地〉に憧れていた。
〈金沢ホテル〉でコックの見習いとして忙しく働きはじめた健次。まわりは吃りの彼を白痴扱いし、仲間外れにするが、健次には気楽だった。
夏のある日、健次は香林坊の繁華街で、人魚のような少女に出会う。
大きなガラス張りの喫茶店の奥で、退屈そうに長い髪を唇で弄んでいる、くっきりとした驕慢な眼差しの少女。健次はそれを〈自分の好感や憎悪に対してまっしぐらに走っている眼つきだと思った。〉

少女は〈金沢ホテル〉の社長の次女、璃々子(りりこ)だった。社長は愛人がいる代わりに妻子にしたい放題させ、璃々子は高校からは買い与えられた東京のマンションで暮らしていた。夏休みなので金沢に帰ってきたが、何か欲しくなるとホテルから持っていく。ある時、健次にバーの酒壜を運ばせ、璃々子は尋ねる。〈「あなた、ブリッジできる? セブン・ブリッジ」〉それがトランプの遊びだと、健次は知らなかった。

ある夜、健次は璃々子に呼び出され、彼女の家で女友達と一緒にセブン・ブリッジをすることになる。そこで健次は、生まれて初めて他人と共にある喜びを知り、夢中でゲームに打ち込んだ。散々遊んで明け方の4時近くになると、女友達も眠ってしまう。

〈健次はふと、璃々子の方を見た。
 彼女は、座布団を胸に当てがって腹這いになり、ローマの遊び女のようなしなやかな眼つきで健次を見た。
「これから、あんたは私の手下になるのよ」
 彼女は小声で言った。健次は朦朧とした気分で頷いた。
「それなら、五分間だけ、私と一緒に寝かしてあげる」〉


差し伸ばされた柔らかく細い腕の上に、健次は頭をのせた。魔術にかかったように。

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9月、ホテルで健次は璃々子と再会する。夜の待ち合わせに現れたのは、二十歳過ぎの青年の車に乗った白い花のような璃々子だった。失望した健次を乗せ、向かったのは夜の海岸。3人は無人の別荘に忍び込んだ。健次は月の光の中にいる美しい璃々子を、〈星から来たんだ〉と思う。
華やかで短い金沢の秋、健次は東京から頭の病気で帰ってきたと噂される璃々子と孔雀の飼育場へ行き、逃げ惑う孔雀の群れに、璃々子は社長の猟犬を放す。何も聞かない健次を、璃々子は〈いい人〉だと言った。

暗い雨の日々が続き、雪が降り始め、健次は仕事に熱も入らず、将来コックになる希望も失っていた。沖縄に帰ることを考えもするが、それでも、暗く冷たい町に息が詰まりそうになっても、璃々子がいるこの金沢から離れられずにいた。
ある日、健次は自分から璃々子を誘う。
激しい雪の中、青年の運転する車で寝静まった漁村へ着くと、璃々子は「暗すぎるわ」と呟いた。璃々子と青年は、健次に船を燃やせと言い、船がよく見える峠の上で待っていると去って行く。渡されたガソリンと新聞紙。菓子でも選ぶように燃やす船を選んだ璃々子。健次は璃々子の望みに従う。

〈そうだ、これはあの娘の希望だったんだ、と健次は思いついた。何か発見をしたようだった。あの子は暗すぎると言ったのだ、世界が。もっと明るくしようと言ったのだ。それは希望なのだ、璃々子の。(中略)
 そうだ、魚が星に恋をしたのだ。星が泣かないのは、周囲が醜すぎるからだ。魚が泣かないのは、涙が海水と混って泣いているとさえ見えないからなのだ。星が口をきかないのは、人間を信じていないからだ。そして魚が口をきかないのは、何ということはない、只吃るから……。〉


暗い夜に荒れた海と雪の中、船は燃え盛り、健次は璃々子たちを追って走り出す。吹雪の中、たどり着いた峠の頂上で健次を待っていたのは、灰色の雪と闇だけだった。

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〈あれが、絶望を溶かす火だったのに! 何という完全な温かさであり、まぶしさであり、詩であることか。このような完璧な陶酔を健次はまだ味わったことはなかった。そうだ、明日は消えたのだ。明日を売って健次は今を購ったのだ。なぜそのような愚かしい真似をしたのか。答えは誰かに聞いてくれ。決して本当の理由をわかりっこない他人に聞いてくれ。
 健次は凍えながら足許を見た。灰色のズボンは降り積もった雪に白くなりかけていた。
 船は末期の癩患者のように、爛れた部分を海の中に血膿を散らすように落し始めた。
 半鐘が続けて鳴った。
 健次はその場へ跪き、そのまま、船の燃え尽きるのと同時に意識の失われるのを待とうとした。しかしそれよりもなお強く、恐怖が彼を駆りたてた。そこに向って歩けば、魂の破滅が待ち構えていることを知りながら、彼は救いを求めて最も近い村の家の灯めざして歩き始めた。〉



曽野綾子は終戦の前後10ヶ月ほどを金沢で過ごした。
この小説は長い話ではないのだけど、健次のこの後の人生はどうなってしまうのだろうと、よく考えてしまう。
by bookrium | 2009-07-23 00:37 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)
小暑(しょうしょ)……梅雨明けとともに、だんだん暑さが増してくる頃。今日から次の大暑までが「暑中」になるので、暑中見舞いを書きはじめる時期。


〈「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」〉


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写真は『MOE 1995年3月号』の1頁と、昨年の新潮文庫期間限定カバーの『新編 銀河鉄道の夜』。
MOEの特集は生誕100年を控えた「宮沢賢治──不思議な合図」。写真の頁はますむらひろしのエッセイに添えられた、『銀河鉄道の夜』(最終形)に出てくる数々の色を忠実に並べたもの。この頁がきれいで、昔金沢の「山猫夢幻堂」という不思議な店で買いました。

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『暮しの手帖』40号では「活版印刷よ、ふたたび」という記事があり、印刷所で作業している写真があります。学校帰りのジョバンニが虫めがね君とからかわれながら細かい活字をひろうのを思い出しました。

〈空気は澄みきって、まるで水のように通りや店の中を流れましたし街燈はみなまっ青なもみや楢の枝で包まれ、電気会社の前の六本のプラタヌスの木などは、中に沢山の豆電燈がついて、ほんとうにそこいらは人魚の都のように見えるのでした。子どもらは、みんな新しい折のついた着物を着て、星めぐりの口笛を吹いたり、
「ケンタウルス、露をふらせ。」と叫んで走ったり、青いマグネシヤの花火を燃したりして、たのしそうに遊んでいるのでした。〉


〈ケンタウルスの星祭〉は、なんとなく七夕の星祭りを連想します。

〈ケンタウルスの祭〉の一夜にジョバンニが体験した不思議な旅。ジョバンニが乗った軽便鉄道。
前の席に乗っていたのは、〈ぬれたようにまっ黒な上着を着た〉友人カンパネルラでした。
鉄道は天の川の左岸を南へ南へと線路が続きます。

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天の川に身をひたして横たわるような白鳥座の、〈しずかに永久に立っている〉天空の白い北十字。
〈白鳥の停車場〉に降りた二人は河原に行きます。

〈カンパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌にひろげ、指できしきしさせながら、夢のように云っているのでした。
「この砂はみんな水晶だ。中で火が燃えている。」〉


南十字(サウザンクロス)へ向かうジョバンニの上着のポケットには、知らない間に切符が入っていました。この不思議な切符の描写が好きです。

〈四つに折ったはがきくらいの大きさの緑いろの紙〉
〈いちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見ていると何だかその中へ吸い込まれてしまうような気がするのでした。〉
〈「おや、こいつはたいしたもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさへ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手に歩ける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈でさあ、あなた方大したもんですね。」〉


ジョバンニがなぜこの〈どこまでも行ける〉汽車に乗れたのか、はっきりとは描かれません。
カンパネルラの親友だったからか、カンパネルラとジョバンニの双子性、〈そのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。〉と考える、聖人を暗示する名前のジョバンニだからか。
タイタニック号を思わせる海難事故に合い、他の家族を押しのけて幼い姉弟を救うよりも、神の前にこのまま行く方が幸福だと、その罰は自分が受けようと考えた家庭教師の青年。天上へ行くためにサウザンクロスで汽車を降りる3人に、ジョバンニが言う言葉。

〈「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」〉


天上へ行くことが許されているジョバンニが、地上での他人の〈さいわい〉を望むのが印象深かったです。


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by bookrium | 2009-07-07 23:23 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)

夏至――『北回帰線』

夏至(げし)……太陽が天球上で夏至点に達し、北半球の昼の長さが一年で一番長く、夜が一番短くなる日。
北回帰線上の観測者から見ると、夏至の日の太陽は、正午に天頂を通過する。

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〈ぼくには金がない。資力もない。ぼくはこの世でいちばん幸福な人間だ。一年前、半年前には、自分を芸術家だと思っていた。いまでは、そんなことには頭をつかわない──ぼくは存在するだけだ。かつて文学であったもののことごとくが、ぼくから脱け落ちてしまった。本に書くことなど、もう一つとしてない。ありがたいことだ。
 ではこれは何だ? これは小説ではない。これは罵倒であり、讒謗であり、人格の毀損だ。言葉の普通の意味で、これは小説ではない。そうだ、これは引きのばされた侮辱、「芸術」の面に吐きかけた唾のかたまり、神、人間、運命、時間、愛、美……何でもいい、とにかくそういったものを蹴とばし拒絶することだ。ぼくは諸君のために歌おうとしている。すこしは調子がはずれるかもしれないが、とにかく歌うつもりだ。諸君が泣きごとを言っているひまに、ぼくは歌う。諸君のきたならしい死骸の上で踊ってやる。〉


(この項途中)
by bookrium | 2009-06-21 15:23 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)
芒種(ぼうしゅ)……芒は「のぎ」と読み、イネ科の植物の花の外側にある突起のこと。芒種とは稲など穀物のことを指し、田植えなど穀物の種を蒔く季節。梅雨入りの時期にもあたる。


〈西の魔女が死んだ。四時間目の理科の授業が始まろうとしているときだった。まいは事務のおねいさんに呼ばれ、すぐお母さんが迎えに来るから、帰る準備をして校門のところで待っているようにと言われた。何かが起こったのだ。〉


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梨木香歩のこの小説のはじまりが好きです。
梅雨から初夏へ移り変わる季節、まいは2年の間会っていなかった英国人の祖母の死を知らされる。ママと車で向かう間、まいは2年前の今の時期に、〈西の魔女〉と過ごした1ヶ月余りの濃密な日々を思い出す……。

易しい言葉で書かれているけれど、〈西の魔女〉が「魔女修業」として、まいに教えるいくつもの生きる知恵は、たいせつなことばかりです。

『村田エフェンディ滞土録』や『家守綺譚』と同じように、この小説も終わり方がとても鮮やか。どれも光で包むような終わり方をしています。

〈西の魔女〉も、まいのママも、まいのその後を描いた短編「渡りの一日」に登場する、あやさんという女の人も素敵でした。
大人になったまいの物語も読んでみたい。きっと〈西へ〉行くのだろう。

表紙を描いた早川司寿乃の解説も、作品を深く楽しめると思います。最後の3つの提案も試してみたくなりました。

おばあちゃんがまいに伝えた中でも、忘れがたい言葉。


〈いちばん大切なのは、意志の力。自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力です。〉

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by bookrium | 2009-06-05 23:51 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)
小満(しょうまん)……陽気が盛んになり、草木がぐんぐん伸びていく季節。

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昭和46年初版、昭和52年9刷の新潮文庫『マラマッド短編集』加島祥造訳。新潮文庫の海外作家短編集のカバーが好きです。装丁は麹谷宏。『夏の読書』はこの中の13の短編のひとつ。短いけれど印象的な小説。


ニューヨークに暮らすジョージ・ストヨノーヴィチは16歳の時に衝動的に高校を辞めた。今年の夏は就職難で仕事が見つからず、夏季学校に行こうかと思ったが周りより歳をとっていた。
ジョージも20歳近くなので女の子と遊びたい年頃だが金はない。家族は、魚市場で働く貧しい父、ブロンクスにある食堂で働く姉のソフィがいる。ジョージはソフィが食堂から持ち帰ってきた新聞や雑誌を、それらが低級なものでも、読むのが好きだった。
ソフィに一日中自分の部屋でなにをしているのか聞かれ、ジョージは、自分もうんと読書をしているのだと嘘をつく。

夕食後涼しくなってから、ジョージは家を出て近所をぶらつく。特に親しい人もいないし、特別にゆく所もないから、少し足を伸ばして公園にゆく。そこはジョージの最後の楽しみにしている場所だった。ベンチに腰を下ろし、あてのない将来のもっとよい暮らしを想像する。

〈自分もいつかはよい仕事について、並木のある通りに面したポーチつきの家に住みたい、と思った。ポケットにはいつでも何か買えるだけの金があり、いっしょに出かけられる女友達があればいい、そうすれば、とくに土曜の晩など、こんなに寂しい思いをしないですむと考えた。みなが自分を好きになり尊敬してくれればいいなあと思った。しじゅうこうしたことを思っていたが、とくに夜になって独りきりでいるときがそうであった。十二時ごろ、彼は立ちあがって、自分のいる地区、暑くて無表情なあたりへもどってくるのである。〉


ある晩、ジョージは地下鉄の切符売りの仕事帰りのカタンザラ氏と出会う。カタンザラ氏は近所の人間とはタイプが違うとジョージは思っていた。カタンザラ氏はジョージにたずねる。「ジョージ、今年の夏はなにをしておるのかね?」

〈「家にいるんです――だけども教育をつけようと思って、うんと読んでるんですよ」〉


自分が働いていないと言うのが恥ずかしくて、ジョージはそう言ってしまう。図書館でもらった100冊の読む本のリスト。それを全部、この夏はよんでゆく。ジョージは気まずく情けない気持ちになったが、カタンザラ氏は何冊か読んだら、本の話をしようじゃないかと言って別れた。

それ以来ジョージに対して、街の人々が家族が彼の読書計画を知ってか、優しくなる。ジョージもなんとなしに前よりこの人たちを好きになってくる。ソフィのために家を掃除したり、こづかいから廉価本を買ったりした。しかし、本は読まなかった。だんだんジョージはカタンザラ氏を避けるようになる。
ある晩の散歩中に、ジョージは酔ったカタンザラ氏と出会ってしまう。カタンザラ氏はいたずらっぽい微笑をした。

〈「ジョージ」と彼は言った、「あのリストのなかでこの夏に読んだ本をひとつだけ言ってごらん、わしはおまえのために乾杯するでな」
 「ぼくはだれにも乾杯なんかしてもらいたくないですよ」
 「一冊だけ名を言ってくれんかね、そしたらこっちも質問できるからな。もしかすると、それはわしだって読みたくなるような本かもしれんしな」
 ジョージは自分が外面だけは普通だが内側はばらばらになってゆくのを感じた。
 答えることができぬまま、彼は目を閉じた、そしてまた眼をあけたとき――それは幾年も過ぎたあとのような感じだった――彼はカタンザラ氏が、不憫な気持から、立ち去ってしまっていたのを知った、しかし彼の耳には氏が立ち去るときに言った言葉がまだ響いていた、――「ジョージ、わしのしたような間違いをするんじゃないよ」〉


次の晩から一週間、ジョージは自分の部屋に閉じこもった。本当は本を読んでいないことに気づいたソフィにののしられ、年寄りの父親に泣かれても、ジョージは動かなかった。
ある夜、熱さに耐えられなくなってジョージは真夜中の街へ飛び出す。恥ずかしくて避けていた街の人々がまだ自分に好意的なのを知り、ジョージは少しずつ自信を取り戻す。カタンザラ氏はジョージの嘘を誰にも話さなかったのだ。
同じ晩、ある男がジョージに、君の歳でうんとたくさんの本を読み終わったなんてすばらしい、とほめる。「うん」とジョージは答え、ほっとする。彼の読書計画が終わり、誰ももう噂しないだろうと考えたから。2、3日後に偶然会ったカタンザラ氏も、本のことを口にしなかった。ジョージは、自分が本をすべて読み終えたという噂を広めたのは、カタンザラ氏にちがいないと想像する。……

ニューヨークの貧しい下町で、よい本を読むということが、すばらしいことだと思われている素朴さ。ひとつのきっかけで無表情な街が優しく微笑みかける。この小説の最後は好きです。

〈秋になったある夜、ジョージは家を出ると、幾年にも行ったことのなかった図書館へと走っていった。そこには、見まわす所どこにも本があった。そして内心の震えるのを押さえるのに骨折ったけれども、容易に百冊の本を数えあげると、それからテーブルの前にすわって読みはじめた。〉


バーナード?マラマッド(Bernard Malamud 1914-1986)はニューヨークのブルックリン生まれ。両親はユダヤ系のロシア難民。
訳者の加島祥造はマラマッドの経歴から、彼の作品の形成に影響を与えた3つの点を上げている。
 ニューヨークの下町で生まれ育ったたことからくるアメリカ的な軽快さ
 父母からうけた旧大陸のユダヤ人たちの生活態度や考え方の暗鬱さ
 青年期以後に身につけた文学的?知的教養
貧しい家庭に育ったマラマッドは大学卒業後高校の教師をしながら研究を続け、31歳になった1945年にイタリア系の女性と結婚。その3年ほど前からすこしずつ短編を書きはじめていた。

1971年に書かれた文庫の訳者あとがきで、加島祥造はマラマッドの技法について、〈彼の内奥にある人間観を芸術として示そうとする努力〉だと書いています。

〈そして彼の人間観とは何かと言えば、つづめて言えば、それは虐げられた人間をして最後まで人間たらしめるものへの信念とでも言えるだろうか。それは人間の心を支える最後の支柱になるものであり――それをマラマッドは彼の作品のなかで常に表現しようとしてきたのであり、その信念はときには宗教的情熱にちかいものとなる。しかしながらそれが説教としてではなく、人々の心へいつしか滲みこむような民話的な素朴な文体のなかで語られるのであり、そこにマラマッドの作品の独特の魅力があるといえよう。〉



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by bookrium | 2009-05-21 12:43 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)