雨水次候・霞始靆(かすみはじめてたなびく)……遠くの山や景色に春霞がたなびき始める頃。

〈詩と科学遠いようで近い。近いようで遠い。〉
平凡社STANDARD BOOKS湯川秀樹『詩と科学』より、冒頭のこの一篇は1946年39歳。
たった3頁弱の短い文章です。けれど深く、この一篇自体が詩のようです。
科学はきびしい先生、詩はやさしいお母さん。詩の世界にはどんな美しい花も、どんなおいしい果物もある。
詩と科学、近いように思われるのは、出発点が同じ、自然を見ること聞くことからはじまっているから。
しかし科学はどんどん進歩して、詩の影も形も見えない。
〈そんなら一度うしなった詩はもはや科学の世界にはもどって来ないのだろうか。〉
詩は、探しても見つかるとは限らない。けれど、ごみごみした実験室の片隅で科学者が発見したり、数式の中に目に見える花よりもずっとずっと美しい自然を見つけるかもしれない。
科学の奥底でふたたび自然の美を見出す。少数のすぐれた学者に見つけられた詩は、多くの人にわけられてゆく。
〈詩と科学とは同じ所から出発したばかりではなく、行きつく先も同じなのではなかろうか。そしてそれが遠くはなれているように思われるのは、途中の道筋だけに目をつけるからではなかろうか。どちらの道でもずっと先の方までたどって行きさえすればだんだん近よって来るのではなかろうか。そればかりではない。二つの道は時々思いがけなく交叉することさえあるのである。〉
湯川と同級生だった朝永振一郎は、湯川は百年先まで見ているといった。
この短い文章の先、遠い遠い先で、詩と科学がふたたび交叉する光景を、いつも想像します。それは光のある光景です。