〈bookrium=book+aquarium〉本の海を回遊するブックリウムの、本と陶芸のある生活です。


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島田清次郎…2 杉森久英『天才と狂人の間』

〈島田清次郎が自分自身を天才だと信ずるようになったのは、彼があまりにも貧しくて、父親もなく、家もない身の上だったからにちがいない。〉

昭和37年(1962年)第47回の直木賞受賞作、杉森久英の『天才と狂人の間』はそう言って始まる。雑誌「自由」に昭和35年11月から36年7月まで5回連載。当時杉森は48、9歳。

杉森は昭和30年頃、井伏鱒二より、島田清次郎は狂死ではなく、革命思想により政府に警戒されて入院させられていたという噂を聞き、興味を持つ。
杉森と清次郎にはいくつかの共通点があった。

没落した家の長子であること。
家族が金沢の花柳界と縁があること。
清次郎が七尾の郡役所で働いていた19歳の時、郡役所の前庭が遊び場だった6歳ごろの杉森と出会っていた可能性があること。
清次郎の婦女誘拐事件の被害者の姓が、杉森の祖父の金沢から来た後妻の母である〈でかおばば〉と同じであったこと。

〈彼がもし、生まれながらの貧者だったならば、そのような考えを起こさなかったかもしれない。〉


どうしても世間に名を挙げようと決心する清次郎。生まれた翌年に回漕業をしていた父を亡くして家は没落し、母の実家を頼る。祖父は公職から金沢の西の廓で吉米楼という芸者屋を開き、清次郎と母はその奥二階の一室で暮らし始めた。
神童と持て囃されたが、中学に入ると吉米楼の経営が苦しくなる。東京の実業家が英才教育の援助を申し出て、明治学院に転入するが、実業家が清次郎に断りなく母の再婚を斡旋したことに怒り、退学して金沢へ帰ってしまう。
母方の叔父を頼るも学費が負担になり、途中から商業学校に転入させられる。しかしここで文学に目覚めた。
清次郎はやがて宗教家の暁烏敏と親しくなり自由に振る舞う(暁烏敏は清次郎にかぎらず、科学者の中谷宇吉郎や漆芸家の松田権六の本にも出てきて、当時は石川の若者に大きな影響を与えていたのだろうと思う)。

商業学校を退学させられ、新聞社で働きながら、清次郎は10歳上で詩人として世に出始めた室生犀星に憧れる。犀星の育った雨宝院と清次郎の育った吉米楼は近い。
早稲田に入りたくて再婚した東京の母を頼るも、義父や叔父の理解を得られず、新聞社へ持ち込みをしても相手にされず、自殺未遂を起こしてしまう。母は離縁し清次郎と金沢へ帰り、人目を避けるかのように、犀川下流の貧民窟の鶏小屋を改造した小屋に住むことになる。
貧しく悲惨な状況で、我が子が天才か狂人かわからなくなり疑念を持つ母。ただ世間への反抗心をたぎらせて、清次郎は日記にこう書きつける。

〈私の心の底に一匹の虫が住まつてゐる。その虫は奇妙な怪物である。〉


その後、七尾の鹿島郡役所に務め、暁烏敏に京都の「中外日報」を紹介される。ここも2ヶ月で体よく追い出されるが、評論家生田長江を紹介され東京へ向かい、清次郎の人生は大きく変わることになる。この時20歳。

小説を読んだ生田長江と社会主義者の堺利彦の賞賛を受けて、新潮社から自伝的小説『地上 第一部 地に潜むもの』を発売。まだ20歳の写真を見ると眉目秀麗な地方の無名な青年の、格差社会を批判した恋愛小説が、文学愛好者以外の一般の人々まで受け入れられ爆発的なベストセラーとなり、上京からたった4ヶ月で清次郎は時代の寵児になっていた。
突然の異常な人気の渦の中で、清次郎はこういう文章を残した。

〈自分はもう四五年沈黙してゐたかつたのである。もう四五年、潜める竜でありたかつたのである。そしてこつこつ、図書館通ひや、山川の跋渉や、諸国の遍歴に自分を養ひたかつたのである。自分は家もなく資産もなく、只有るものは燃ゆる大志のみであつた……〉


彼に時間と少しの金の余裕があったら、狂乱な人生にならなかったかもしれない。

翌年、「地上」第二部を発表。この時には若者たちのヒーロー的存在になっていた。人気に浮かされて落ち着きのない日々を過ごす。第三部も版を重ねるが、徐々に清次郎の人気には翳りが見えてくる。

大正11年(1922年)23歳の時に、ファンで手紙のやりとりをしていた山形の少女、4歳下の小村豊子(発表時は健在だったため名は変えている。本名は小林豊)と結婚。洋行前に結婚をせかした清次郎に不安を覚えつつ、豊子は兄姉と上京する。上野で撒かれたビラの「文芸大講演会」の弁士の中に、清次郎の名を見つけ、この人の妻になるのだと豊子は誇らしさを覚えた。講演会を覗いてみると、豊子たちに気づいた清次郎は急に元気づいて熱弁を奮い、後で彼は〈今日ほど愉快に講演ができた日はなかった〉と語った。

〈しかし豊子は後年になって当時のことを回想した時、島田清次郎との短かい結婚の生活のうち、ほんとうに楽しかったのは、その日一日だけだったと思った。〉


金沢で清次郎と豊子と母の生活が始まるも、清次郎の豊子への追求と虐待、洋行に向かって10日も経たない内に女性スキャンダルが新聞に報じられたことから、豊子は実家に帰ってしまう。4ヶ月の短い結婚生活だったが、豊子は別れてから清次郎の子どもを生んだ。

清次郎は8ヶ月かけてアメリカ·イギリス·フランス·ドイツ·イタリアを周り、帰国。元々の調子に世界を見てきたことが加わり、尊大さがますます激しくなってくる。文壇の中からはそんな清次郎を嘲笑し、揶揄する者たちが現れた。同じ年に創刊された「文藝春秋」で清次郎は露骨な悪意の対象となり、〈帝王か馬鹿か低脳かこれやこの知るも知らぬも逢坂の関〉とまで書かれた。

翌年、清次郎は何度かファンレターをくれ無邪気に遊びに来たがっていた砂木良枝(本名は舟木芳江)という少女が、加賀藩出身の海軍少将の娘であり、作家の兄2人を持つことに気づき、興味を持つ。家に遊びに来させた1ヶ月後、清次郎は良枝を誘拐、凌辱、監禁したとして、新聞に一斉報道される。
同郷で砂木家とも交流があった徳田秋声に間に入ってもらうも、砂木家は清次郎を告訴。世間には清次郎を糾弾する者、舟木兄弟の清次郎の名声への嫉妬と見る者、同郷人として廓のお針女の息子を軽んずると見る者など、社会的スキャンダルになる。良枝から清次郎へ送った手紙が公開されたことにより、やっと告訴は取り下げられ、良枝にも非があった、不良少女だと、砂木家も非難の的となった。

〈それでは良枝はどの程度に無邪気だったか、それでも有邪気だったか?〉


事件の大正12年から30何年も経って、人々が島田清次郎も砂木良枝も忘れたころ、清次郎に興味を持った男が、ひっそりと暮らしていた良枝を訪ねた。男は良枝の話を聞いて涙が出そうになり、彼女の話を信じなければならないと思う。〈彼女はただ、小鳥のように無邪気で純真な小娘にすぎなかったのである。〉

〈「あたしはもう、昔のことはすっかり忘れて、生まれかわったような気持ちで暮らしているのに、まだ過去のほうから追っかけて来て、苦しめようとするんですか」〉


そう良枝は言う。杉森久英が『天才と狂人の間』を発表した時、まだ生存していた舟木芳江と小林豊にとって、この本で自分の過去を暴かれる、島田清次郎の話をされるのは、並の苦痛ではなかったと思う。許可を得て名前を変えて発表しているのだろうけど、苦しむのが分かっているのだから本当はふたりの死後に発表すべきだったのでは?と思う。

清次郎と良枝の事件から3ヶ月後、作家の有島武郎と「婦人公論」記者の波多野秋子との心中事件が起き、連日清次郎を報道していた世間の関心が一気にそちらへ移る。新聞雑誌の執筆依頼が途絶え、本の売れ行きもがた落ちになる。生活を立て直そうとした矢先に関東大震災にあい、金沢へ引き揚げて「改元」第二巻(実質「地上」の第六巻)の原稿を完成。しかし新潮社はじめ、どこの出版社からも出版拒否。金もなく、唯一の収入源である印税を絶たれ、清次郎は追いつめられていく。金策のために上京するも、宿代、散髪代、電車賃にも困り、徳田秋声、加能作次郎、中村武羅夫、吉野作造らを転々と頼り、最後に菊池寛を訪ねるも拒絶。

〈まもなく彼は血と泥にまみれた姿で、人力車に乗り、池袋の通りを通行中、挙動不審のかどで交番の巡査に逮捕された。〉


精神鑑定の結果、保養院に収容される。清次郎25歳。
母が入院費用を払えなかったため、公費患者となって、病状が快方しても入院継続。昭和5年(1930年)4月29日、〈精神界の帝王〉となりたかった清次郎は〈地上の帝王〉の生まれた日に、肺結核で亡くなった。

栄光の短い清次郎の数奇な31年の人生を、杉森久英は丹念に描いている。それでも、杉森の中の清次郎像というものを見ている感じにもなる。なぜここは書かないのだろうとか、この人の名は出ないのだろうとか、色々気になった。杉森の島田清次郎のイメージ像は、大きな影響を与えていると思う。

清次郎の晩年の姿を、杉森はこのように書いた。

〈彼はときどき新聞や雑誌を読んだり、自著「我れ世に敗れたり」のページを繰ったりして、思いに沈んでいたが、そこには往年の傲岸不遜の影は微塵もなく、ただ打ち挫がれた者の淋しい姿があるばかりだった。彼は医員に対しても、同僚の患者に対しても、ただただ謙遜で、丁重で、お辞儀ばかりしていた。〉


小説では紹介されなかったけど、退院の要望を出しても叶わなかった保養院の中で、清次郎が書いた詩『明るいペシミストの唄』は好きです。



          わたしには信仰がない
          わたしは昨日昇天した風船である
          誰れがわたしの行方を知っていよう
          私は故郷を持たないのだ
          私は太陽に接近する。
          失われた人生の熱意――
          失われた生への標的――
          でも太陽に接近する私の赤い風船は
          なんと明るいペシミストではないか。



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Commented by Jiro at 2011-03-06 03:54 x
島清の地上を読みました。20歳の青年の書いた情熱と正義感が沸々と込み上げてくる、得体の知れぬ力強さに圧倒されました。 記
Commented by BOOKRIUM at 2011-03-07 17:42
Jiroさま、コメントありがとうございます。
島田清次郎の小説を実際読んだ方の意見を聞くことが、ほとんどないので、ご感想聞けてとてもうれしかったです。
〈沸々と込み上げてくる、得体の知れぬ力強さ〉が当時も今も島田清次郎の魅力なのかもしれませんね。
by bookrium | 2009-04-15 01:33 | 北陸の作家 | Trackback | Comments(2)