〈bookrium=book+aquarium〉本の海を回遊するブックリウムの、本と陶芸のある生活です。


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阿部知二『冬の宿』

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〈……私の記憶はみな何かの季節の色に染まってゐる。〉

そういって始まる「冬の宿」は翻訳家?作家の阿部知二(1903-1973)が昭和11年、30代はじめに書いた小説。文庫の奥付を見ると1956年に第1刷、1992年に第14刷となっている。読んでて映画になりそうだなと思ったら、昭和13年になってた。原節子も出演。

この本は古本屋で購入してからしばらく経つけど、読み始めたきっかけは先に目を通したあとがきにあった著者の言葉。

〈また、これを書いた昭和十一年といえば、それが二?二六事件の年だったといえば、もはや多言を必要としないだろう。大正末から昭和初めへの恐慌から抜け出ようとする日本は軍事體制というものをしだいに取ってきた。そのとき、あらゆる進歩的な運動や思想がむごたらしく踏みにじられた。そのようなことにかかわりなかった私のようなものにも、いいようのない暗い気持を、それらの光景はあたえた。一方、皮肉なことには――軍需景気というようなものであろうか――消費的な生活はかなりはなやかになってきており、しかもそれが眼前に見る二?二六事件のようなものを同時に伴っていた。その矛盾は心をいためつけた。また眼を未来に向けようとすれば、――私は歴史的な眼を持っていたのでないから、ただ漠としてしか感じなかったのだが、何か恐るべきことが起るという豫感があった。〉


ちょっと長い引用ですが。ここが強く印象に残り、最初から読み始めました。
「冬の宿」は主人公の大学生の〈私〉が大正末か昭和初頭、数年前に寄寓していた〈霧島家〉でのひと冬を回想した小説。

地方出の〈私〉は、学校や社会運動に入っていく友人と馴染めず、華美な伯父の家や従妹たちに反発しながら、あれこれ恋愛したりやめたりした中のひとり〈庵原はま江〉ともうまくいかなくて、なるべく皆から離れた下宿を探す。
見つけたのは貧民街の崖の上に建つ〈霧島家〉の二階の六畳だった。すぐに住み着いた私はそこで、地方の豪農から没落した主人の〈霧島嘉門〉、敬虔なクリスチャンの妻の〈まつ子〉、悪戯ばかりの兄〈輝雄〉と泣いてばかりの妹〈咲子〉と暮らし始めた。

〈私は、この家の、夫と妻、父と息子、父と娘、母と息子、母と娘、兄と妹の関係の切断面、その心理的生理的な反発と執着の切断面をみるにつけて、その冷やかで新鮮な知識の角度をよろこんだのだ。そして、できるだけ非人間的な関係に自分を置いてその知識欲をみたそうとした。〉


やがて、この家に〈高〉という朝鮮人の医師が同居することになる。
霧島家のどんどん苦しくなる生活と、目には見えないが、夜更けまで編み物仕事をし献身的に一家を支えるまつ子と神のように溺愛される輝雄そして高、乱暴で放蕩を尽くす嘉門と兄に苛められ不憫な咲子そして私、家の中がふたつに分かれた所へ庵原はま江が病気でサナトリウムに入っている手紙が届く。旅費を嘉門に借りた私はもう一度やり直せる空想をしていたが、病室にいたのは、はま江と談笑する大学の講師〈劍持〉だった。

ある雪の日、高が献身的に世話していた朝鮮人労働者のための病院が火を起こして大半を焼いてしまう。朝飛び出して行った後、高は行方をくらまし、病院は放火ではないかと疑われる。高の荷物の中には、まつ子を匂わせたある夫人への想いを綴ったものがあった。

貧しさから身を売ることすら考えたまつ子に悩みを打ち明けられた大雪の夜、私の頭にもよぎったものがあったが…突然、嘉門にまつ子との不義をなじられ追い出されてしまう。――それは輝雄の嘘の密告だった。

私は衝動にまかせ庵原はま江に面会に行く。冷ややかな彼女と別れ、町はずれのホテルに泊まる私の元に、その夜、土砂降りの中濡れたはま江がやってくる。

〈「私がこはい? 咳が――。」
 「こはくなんかない。」さういつた時に、私たちはベッドのうへに體を付けあつて横はつてゐた。」〉


病院の追手にはま江は連れられて行き、翌朝私は故郷へ向かう。郷里には私宛の高からの長い手紙が届いていた…。


この後もう少しだけ話は続くのですが、小説の言葉を借りれば、〈すくわれないスノッブ〉〈反発と冷笑〉だと読んでて思いました。
著者はあとがきの最後にこう書いています。

〈私は、こういう作品を書いてから二十年ほど過ぎてから、ようやく、現実というものを、こういう作品のように傍から感覺的に心理的に見るだけでは、人間らしく生きたということにならず、私たちは現實の中に生きながら、すこしでもそれをあらためてゆくようにするべきであり、文學はそのようなことと無関係であるはずはない、と思うようになった。まったく鈍いことであった。〉


ちょっと調べてみて、阿部知二は翻訳(ホームズや嵐が丘や白鯨とか)はともかく、小説は最近読まれてないのかな…と思いました。取り上げる人もいないよう(荒川洋治の本でちらっと出ている)。名前も知らずに選んだ一冊ですが、今でも読まれていい小説だと思います。一緒に収録された短篇「地図」の方が読みやすいかも。少年が心の中に空想の地図を描いて、いろんな体験をしてはそれを地図に投影し、大人になって実際の世界の手強さを感じつつ、眠られぬ夜にはやっぱり地図の記憶を辿る…という話。著者自身がやはり地図で心なぐさめていたようです。


 
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by bookrium | 2008-12-19 14:14 | 好きな本 | Trackback | Comments(0)