〈bookrium=book+aquarium〉本の海を回遊するブックリウムの、本のある生活です。


by bookrium
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ある日

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〈私は雨がすきである
 雨はいつも私を机のそばにつれてゆき
 喜ばしい落ちつきを与へ
 本を手にとらせる
 この世界に小さな座を与へてくれる〉室生犀星
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by bookrium | 2013-03-11 17:29 | 好きな本 | Trackback | Comments(0)

穀雨

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by bookrium | 2010-04-20 20:52 | 奥能登歳時記 | Trackback | Comments(0)
寒露(かんろ)……寒さで、草の露が冷たく感じるようになります。


〈一夏過ぐその変遷の風かみにするどくジャック・チボーたらむと〉
小池光

この句を知ったのは、久世光彦さんの『人恋しくて 余白の多い住所録』で、高校生の時だった。

〈何千枚の大作よりも、ある日出会った三十一文字の方が重いことがある。その日から、一生体にまとわりついて離れないことだってある。あるいは、たったそれだけのフレーズによって、人は一日を生きる。〉


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『黄色い本』は講談社から2002年に出た高野文子の漫画。
物語のはじまりで、高校3年生の田家実地子は雨のバスの中で本を読みふけり、バス酔いする。彼女の読んでいたのは、「LES THIBAULT」と表紙に書かれた〈黄色い本〉――『チボー家の人々』の1巻だった。
実地子は両親と弟、そして父親が入院中の幼い従妹と一緒に、ある雪深い地方の町に暮らしている。
図書室から借りたロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』は5巻まであって、実地子は、家でも、学校でも、家事を手伝っている時でも、ジャック・チボーという同い年の家出をした少年の物語が離れない。皆が寝ている夏の夜に読んだ、ジャックが級友と交わす1冊の秘密の灰色のノート。そこに書かれていた言葉。電気を消した真っ暗な部屋で、実地子は天井に両手を伸ばし、眼を覆った。暗闇の中で眼を開いた実地子に、その言葉がよみがえる。

《命をかけてきみのものなる――― J(ジャック)》


深夜にやっていた外国映画の俳優とジャックのイメージが実地子の中で重なり、第一次世界大戦前後のフランスに身を置く彼と、友達になれそうなくらい考え方が似ていると感じる。――《ほめられたらいかれ/よろこんだらはじろ》それは父親にほめられておどけた時にも浮かぶ。そんな実地子に父親は、〈おめが将来どこに勤めることになるだか 俺(おら)はわからねども/おめでねば編めねえようなセーターを編む人に/なればいいがなぁと/俺は/思うんだ〉と言った。〈創造性のある?〉と実地子が真剣な顔をすると、父親は〈おう〉と笑う。それを見た実地子は〈そうだね〉とやさしくほほえむ。このくだりが好き。

家族を大切にする父親を見ながら、〈自分の好きな人を/大切にすることは/それ以外の人には/冷たくすることに/なるんで/ねえの/ねえ/トーチャン〉と心の中で問いかけながら、部屋の電気を点ける。不意に、テーブルに人形を寝かせたちいさな従妹が、〈実ッコちゃん〉と呼びかける。〈電気つけると/暗いねえ〉〈ええ?/明れえよう 電気は〉〈電気つけると夜んなったねえ〉〈ああ/夜んなったねえ/外は〉

実地子は生活の中で、常に対話しながら、考えながら本を読む。《自分の 行動と 思想 それは つねに共でなくてはならないんだ!》バスでおばあさんに席を譲った時も。しかしそれが幸福なのか?と考えた時、風邪をひくと母親に本を取り上げられる。
冬になり、勉強にも身が入らない状態だった実地子も、学校で職場の説明を受ける。
図書室に本を返却する前に、第5巻の残ったエピローグを読みながら、実地子は物語をなつかしく思い出し、ジャックに呼びかける。
〈家出をしたあなたがマルセイユの街を 泣きそうになりながら歩いていたとき/わたしが その すぐ後を 歩いていたのを 知っていましたか?〉
〈いつも いっしよでした/たいがいは 夜/読んでいない ときでさえ/だけど まもなく/お別れしなくては なりません〉

外の雨と、実地子の頬の涙が重なった時、『チボー家』の世界の人々が問いかける。

 ――極東の人/どちらへ?
〈仕事に…/仕事につかなくてはなりません〉
 ――それはそれは
 ――なるほど
〈衣服に関する/仕事をします/……たぶん/服の下に 着る物を 作ります/これからの 新しい 活動的な〉
 ――ふむ それは重要だ
 ――たしかに
〈革命とは やや離れますが/気持ちは持ち続けます〉
 ――成功を いのるぜ
 ――若いの!



春が近づき、その本買うか?と父に聞かれても、実地子はいいよう、と断る。〈好きな本を/一生持ってるのも いいもんだと/俺は/思うがな〉と笑う父。実地子の眼に、黄色い本の奥付が映る。チボー家の人々(全五巻)第五巻。訳者 山内義雄。一九六六年五月十日三八版発行。白水社。


図書室に本を返し、実地子はジャックと別れの日を迎える。自分で本棚に収めた5冊の黄色い本が並び、ジャックは実地子に呼びかける。

 ――パリでぼくを尋ねるならば
   ユニベルシテ町に兄がいる
   留守の場合は メーゾン・ラフィットへ
   ことづけてくれれば連絡が
 ――知っているわ リラの花の咲いている家でしょう
 ――良く 知っているね 
 ――ええ
 ――いつでも来てくれたまえ
   メーゾン・ラフィットへ




『黄色い本』が多くの人々に読まれ、高い評価を受けたのは、大人になる前の実地子とジャック・チボーの物語が、多くの人の読書体験に重なったからだろう。ちがう時代や性別や本だとしても、実地子のように現実の生活の中で、対話し、考え続けながら読む。そして、いずれは自分で生活していかなければならない。ジャックはいつでも待っていて、実地子はいつでもメーゾン・ラフィットへ行ける。図書室の本が手元になくても。
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高野文子は、少年少女向けの、2003年発行の白水社『チボー家のジャック』新装版の装丁をてがけた。黄色い本の函にかかった茶色い帯には、このような言葉が書かれている。

《ジャック・チボーとは学校の図書室で出会った。その日から、彼は私の大切な友達になった。》

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           《――いつでも来てくれたまえ
              メーゾン・ラフィットへ》




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by bookrium | 2009-10-08 02:07 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)
半夏生(はんげしょう)……七十二候のひとつ「半夏生(はんげしょうず)」からつくられた暦日。かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球の黄経100度の点を太陽が通過する日。

農家にとって節目の日。
この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされていた。
この頃に降る雨を「半夏雨(はんげあめ)」といい、大雨になることが多い。

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〈Nazasawa Tetsuo. A poet of laconic,enigmatic,experimental poetry.(長沢哲夫は、簡潔でしかも謎に満ちた実践的な詩を書く詩人だ。)〉


詩集『つまづく地球』の序文で、ゲーリー ・スナイダーはそう書き出しています。

〈He 's tough as a whip, no wasted words.(ナーガは鞭のようにしなやかでタフで、けっして言葉を無駄にしない。)〉


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これは2003年に出た小さな冊子。
東シナ海に浮かぶ吐噶喇(トカラ)列島の諏訪之瀬島という火山島。
長沢哲夫はその島に留まり、家庭を築き、漁師となった。

以前、諏訪之瀬島の噴火について答える漁師・長沢哲夫の記事を見た(火を噴く山の写真も本の中には入っている。この島でももうすぐ日食が見られるのだろうか?)。
それを目にした時は、『ふりつづく砂の夜に』に入っている宮内勝典の序文「一秒の死を歩きながら」を思い出した。屋久島の食堂にあった新聞で、宮内はナーガに再会する。詩人ではなく、漁師として、鹿児島で人気を集めている一夜干しのトビウオについて淡々と答えるナーガ。宮内はくすくす笑い、その記事をこっそりポケットに入れる。

〈いつか宮沢賢治のように仰がれるはずの詩人が、ここに隠れているのだと感じながら。〉

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気に入っている詩はいくつもあるけど、特に冒頭の短い詩が好き。
それは、ナーガのことを、〈He hangs out at the cliff where language stops at the edge of emptiness.(言葉が無の境界に立ち止まる崖の端を、彼はさまよう。)〉と書いたゲーリー・スナイダーの言葉と響き合っていると思う。


〈心にひとしずくの青い無が
 
 坐っている

 潮のかおりにのって〉



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by bookrium | 2009-07-02 20:13 | 好きな本 | Trackback | Comments(0)

穀雨――『雨の音』

穀雨(こくう)……春雨が降って百穀の穀物を育てるという時期。
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写真は高校生の時に友達からプレゼントでもらった宇野千代のハンカチに、講談社文芸文庫から1989年に出た宇野千代の『雨の音』。

巻末の「著者から読者へ 現役で仕事を続けて行くこと」を見ると、「雨の音」は生まれて始めての書き下ろしの小説。前に宇野千代の随筆が好きでよく読んだけど、小説は自伝的なものしか読んだことがない。この小説集もそう。

〈自分の過ぎこし方が分るやうな小説を書いてゐるのはどう言ふことであらうか。やはり自分の身近なことを書くことが私にとつて一番似合つてゐると言ふのだらうか。〉


年老いた作家がかつて一緒に暮らした男の息子に声をかけられる。3、40年ぶりに会い成長して見違えた彼。
独り身の作家の暮らしと、かつての男たちの思い出が、行きつ戻りつして、最後は降りしきる雨が隠してゆくような小説。

宇野千代の文章の語りは、平明で、非常に自分を突き放して眺めている。自分という奇妙な女の心の動きや行動を、どこか男が見るように面白がっている。

〈一つのことだけではなく、たくさんのことが隠されたままで、人の眼にふれないのは、神さまの恩沢である。それでなくて、どうして私たちのような弱い人間が生きて行かれるか。私はそう思うのである。〉


いろいろ好きな部分があった。現在と過去にたゆたうような文章で好きな話。
冒頭のかつて一緒に暮らした画家の樋口、その連れ子の正夫、〈継子でさえなく、ただ同じ家の中にいる他人の子供〉として彼に接した女作家。この関係や女の様子に、山田詠美の『ジェシーの背骨』を思い出した。


 
雨の音 (講談社文芸文庫)
宇野 千代
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by bookrium | 2009-04-20 22:46 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)

詩人 長沢哲夫

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長沢哲夫の詩が好きです。はじめてその名前を知ったのは晶文社の山路和広·著『フライングブックス ことばと音楽の交差点』。新しい古本屋を作る過程がとてもエキサイティング。古本屋をしながら出版もする。その一冊で長沢哲夫の詩集
『ふりつづく砂の夜に』から、宮内勝典の序文「一秒の死を歩きながら」を転載している。

宮内勝典の序文を何度も何度も読んだ。40年前に一緒にトカラ列島を旅したこと。長沢哲夫、ナーガは、異なる道を歩んで諏訪之瀬島に移り住む。消息も絶え、沈黙を続けていても、宮内は〈だが私は、ナーガがだれよりも深く生きているはずだと感じていた。〉

〈ナーガは「離島」にいるのではない。辺境にいるのでもない。黒潮の真っただ中で、地球的な時間で、いま、まさに生成しつつある世界の切っ先を生きているはずだ。詩人とは火山のようなものだ。しばらく鳴りをひそめていても、いつか、かならず噴火してくるだろう。私はそのときを、遠くから待ちつづけていた。

そして、ナーガは噴火した。〉


ナーガの詩の世界の深い感覚は、宮内の中に頻繁に蘇ってくる。

〈たとえば、東京の雑踏を歩いているとき、交差点で信号が変わるのを待っているとき、いつもナーガの詩が浮かんでくる。

一秒の死を歩く 海辺

私はその言葉を、もう一千回、一千秒ぐらい意識してきたような気がする。ナーガの友であることを、私は未来に誇る。〉


この序文を読み終わると、いつも深い感慨が湧く。

私はナーガと宮内勝典のこの関係がうらやましいのだろう。

大好きな詩はいくつもある。海や山を、色や匂いを深く感じる生活をしたいせいか、ナーガの詩の世界が近くなってくる気がする。「だれよりも深く生きている」とわたしも感じてみたい。



  雨のあとで

 海が体を洗い 心を洗う時
 ぼくらは出会うだろう
 海が体を洗い 心を洗う時
 そんな時はいつでも
 ぼくらは出会うだろう
 たとえそこにあなたも
 私も いなくても
 海が体を洗い 心を洗う時
 ぼくらは出会うだろう
 いくつもの雨
 どしゃぶりの
 いくつもの終わりのない雨のあとで




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by bookrium | 2007-06-10 18:48 | 好きな本 | Trackback | Comments(0)