〈bookrium=book+aquarium〉本の海を回遊するブックリウムの、本と陶芸のある生活です。


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『雪と珊瑚と』梨木香歩

この本は装丁が好きです。
表紙も、読むと〈珊瑚〉はこんな女性なんだろうなと思い、開くと淡いブルー、花布の淡いピンク、スピンはグレーとか。

離婚した21歳の珊瑚が幼い娘の雪を抱えて店を開くストーリーは、保険証もなく自宅出産の過程もこんなに上手くいくのかな?と思いました。
硬い感じを受ける珊瑚が関わる人たちや食べ物でほぐれていくようでした。大根のダシと塩のスープ、小玉のタマネギとコンソメのスープがおいしそう。

後半の一通の手紙が、読んでいて感じる否定的な考えや違和感を見通してるようで、モヤモヤの行き場がないなと思いました。アレルギーのあるこどもの母親に、「メロンパンもどき」を渡す。珊瑚が良かれと思ってすることが、店側では困ることがわからない、そういうところがモヤモヤしました。
聖フランシスコの言葉〈施しはする方もそれを受ける方も幸いである〉、施すことと施されることが、何度か出てきます。

気になった一節。

〈新しい人生とは、赤ん坊のそれなのか、自分のそれなのか、珊瑚は分けて考えることをしなかったが、産むことでようやく、社会や、そこで生きていくことと、ちゃんと関われる気がした。今までずっと、「本当に起こっていること」の外側で生きている気がしていた。〉

〈自分の人生は、なんだかモグラに似ている、と思っていた。さしたる夢も野望もなく、とにかく目の前の土を掻きわけて、なんとか息のできるスペースをつくっていく、それの繰り返し。もっと大きな、なんというのか「ビジョン」というのか、人生の目標みたいなものが、自分にはない、〉

〈昔、鍵をかけなかったことに対する苦い思い出が、珊瑚にはある。だがそのことはもう、思い出さないことにしている。そんなことは自分の人生を左右するほどのことではない。〉

〈「どんなに絶望的な状況からでも、人には潜在的に復興しようと立ち上がる力がある。その試みは、いつか、必ずなされる。でも、それを、現実的な足場から確実なものにしていくのは温かい飲み物や食べ物――スープでもお茶でも、たとえ一杯のさ湯でも。そういうことも、見えてきました。」〉

本をほとんど持ってない珊瑚が、家を出るとき持って出た一冊の本、石原吉郎の詩を読んでみたくなりました。


雪と珊瑚と
雪と珊瑚と
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梨木 香歩
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by bookrium | 2013-12-28 16:57 | 読んだ本 | Trackback | Comments(2)
芒種(ぼうしゅ)……芒は「のぎ」と読み、イネ科の植物の花の外側にある突起のこと。芒種とは稲など穀物のことを指し、田植えなど穀物の種を蒔く季節。梅雨入りの時期にもあたる。


〈西の魔女が死んだ。四時間目の理科の授業が始まろうとしているときだった。まいは事務のおねいさんに呼ばれ、すぐお母さんが迎えに来るから、帰る準備をして校門のところで待っているようにと言われた。何かが起こったのだ。〉


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梨木香歩のこの小説のはじまりが好きです。
梅雨から初夏へ移り変わる季節、まいは2年の間会っていなかった英国人の祖母の死を知らされる。ママと車で向かう間、まいは2年前の今の時期に、〈西の魔女〉と過ごした1ヶ月余りの濃密な日々を思い出す……。

易しい言葉で書かれているけれど、〈西の魔女〉が「魔女修業」として、まいに教えるいくつもの生きる知恵は、たいせつなことばかりです。

『村田エフェンディ滞土録』や『家守綺譚』と同じように、この小説も終わり方がとても鮮やか。どれも光で包むような終わり方をしています。

〈西の魔女〉も、まいのママも、まいのその後を描いた短編「渡りの一日」に登場する、あやさんという女の人も素敵でした。
大人になったまいの物語も読んでみたい。きっと〈西へ〉行くのだろう。

表紙を描いた早川司寿乃の解説も、作品を深く楽しめると思います。最後の3つの提案も試してみたくなりました。

おばあちゃんがまいに伝えた中でも、忘れがたい言葉。


〈いちばん大切なのは、意志の力。自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力です。〉

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西の魔女が死んだ (新潮文庫)
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by bookrium | 2009-06-05 23:51 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)
春分(しゅんぶん)……太陽が春分点を通過する日。真東から昇った太陽が真西に沈む。昼と夜の長さがほぼ同じになるが、日本では昼の方が14分ほど長い。北極点または南極点の観測者から見ると、太陽は地平線と重なるようにして動き、昇ることも沈むこともない。
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写真は梨木香歩のエッセイ集。単行本は2002年に、文庫は2005年に出ました。文庫には「五年後に」という文章が加えられています。美しいカバーの写真は星野道夫。
この人の本を読むのはまだ3冊目だけど、やっぱり距離の置き方がほどよいので好きです。声高にならずに自分の権利を主張でき、慎ましく凛としている。

学生時代を過ごした英国S?ワーデンの下宿先「ウェスト夫人」と、夫人のまわりの人々との交友を綴りながら、「私」は考え続けている。ロンドンを挟んでS?ワーデンの真南のサウス?ダウンズ、スコットランド、トロントからプリンスエドワード島、トロントからニューヨーク?ラガーディア空港、そして日本へと、場所を移りながら。

読んでいて、心惹かれる文章がいくつもありました。

〈人を受け容れる気配にあふれた温かさ、かといって必要以上に好奇心をあらわにしたりしない適度の親密さ。この絶妙な距離感が心地よい。〉
〈日常を深く生き抜く、ということは、そもそもどこまで可能なのか。〉
「子供部屋」

〈あなた方は本当にそのことを話したいの? 私は心の中で呟く。あなた方が本当に、そのことを、話したいのなら私も口を開く。〉
「夜行列車」

〈私が惹きつけられるのは荒れ地に沼地、野山や小川、人の住んだ跡、生活の道具、人が生きるための工夫(信仰を含めて)そういうものだということが、そしてどうやら最後までそういうことに限定されそうだということが、人生の中間地点に差し掛かりしみじみわかってきたところだった。〉
「クリスマス」

〈――僕たち、足して二で割れないもんだろうか。
 ――そうだねえ、全ての人間を足してその数で割ったら、みんな分かり合えるようになるかなあ。
 ――うーん、でもそれもどうかなあ。
 ――分かり合えない、っていうのは案外大事なことかもしれないねえ。〉


〈私たちはイスラームの人たちの内界を本当には知らない。分かってあげられない。しかし分かっていないことは分かっている。ウェスト夫人は私の見た限り、彼らを分かろうと聖人的な努力を払っていた、ということは決してなかった。(中略)自分が彼らを分からないことは分かっていた。好きではなかったがその存在は受け容れていた。
 理解はできないが受け容れる。ということを、観念上だけのものにしない、ということ。〉
「トロントのリス」

こういう経験や物の見方の上に『村田エフェンディ滞土録』が成り立っているんだなぁ、と思う。
作者が師事した児童文学者ベティ?モーガン?ボーエンとは、どんな人なのだろう?

特に印象深いのは、荒野のコテージに暮らすことを考えた時の著者の言葉。

〈生活できるまで生活する、できなくなったら静かに去ります(go away)。〉


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by bookrium | 2009-03-20 21:06 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)
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梨木香歩の新潮文庫『家守綺譚』と角川文庫『村田エフェンディ滞土録』。登場人物がリンクしていますが、別々の独立した物語です。どちらから読んでも大丈夫ですが、「家守」「村田」の順で読んだら感慨深いものがありました。もう少し彼らの世界は読んでみたいけど、もう一作出ないだろうな(追記…『yomyom』で書いてた)。想像する余白の多い文章だと思う。


『家守綺譚』
明治の日本、湖と山に近い、庭池電燈二階付きの一軒家を、ボートでひとり湖に出て亡くなった学友「高堂」の代わりに世話することになった「私」こと文士の綿貫征四郎。
死んだはずの高堂は床の間の掛軸の絵の中から、ボートを漕いでちょくちょくこちらへやってくる。

〈――なに、雨に紛れて漕いできたのだ。〉


こともなげに言い、庭のサルスベリに綿貫が惚れられてることを忠告して去っていく(サルスベリの気持ちに思い当たることがないでもない綿貫…何があった?)。
死んだ高堂が現れることも、河童を助ける犬にも、狸に騙されても、白木蓮がタツノオトシゴを孕んでも、土耳古へ留学中の村田にちなんで土耳古と呼んでいる庭の砂山に聖母が浮かび上がっても……自分には分からないものたちを受け容れる綿貫。どこかおおらかな居心地の良さ。四季の28の植物の名にちなんだ短い話が重なって、ゆるやかな時間が終わるのを名残惜しいと思う。

綿貫が「ダァリヤの君」とひそかに呼んでいる少女の登場する話を特にきれいだと思った。
死んでしまった幼なじみが嫁入り行列の船に乗って川上へ遡って消えてゆくのを、その名を叫びながら白いサザンカを投げて贈る少女。見ていた綿貫に振り向いて「ダァリヤの君」は言う。

〈――かわいそうだと思わないでください。佐保ちゃんは、春の女神になって還ってくるのだから。〉


雪の駅舎でしばらく来るはずのない汽車を待つ「ダァリヤ」と綿貫はゲーテの詩を諳じる。《――彼方へ 君と共に行かまし》 入ってきた汽車に、「ダァリヤ」の会いたい人は乗っていなかった。「ダァリヤ」は湖の底でみんなが生きていると言うけど本当だろうか、本当に思えないと綿貫に同意を求める。

〈私は仕方なく、
 ――本当よりも本当らしいじゃないですか。それが本当で、何か不都合がありますか。
と応えた。ダァリヤの頬が上気した。
 ――いえ! 何も!〉


つながった川と湖で、親しい者を亡くした同士のこのくだりは特に好き。

「葡萄」という話で物語は不意に幕引きされる。でもそれもこの不思議な物語らしい。綿貫は最初の「サルスベリ」の話と同じように、掛軸の向こうへ帰る高堂に呼びかける。

〈――また来るな?
 私は追いかけるように寝床から声を上げ、念を押した。
 ――また来るよ。
 その声はすでに遠く、微かに響いた。〉



巻末には物語の中で「私」綿貫征四郎が締切に追われていた随筆を収録。これは文庫だけらしい。単行本の表紙も渋くてすてき。


『村田エフェンディ滞土録』
1899年、土耳古の首都スタンブールに皇帝の招きで、考古学を学ぶべく日本からやってきた(土耳古で一般的な名前MURATに似ているからいう理由で選ばれた)村田。下宿の英国人ディクソン夫人、使用人のムハンマド、独逸人オットー、希臘人ディミィトリス、そして「友よ」「悪いものを喰っただろう」「いよいよ革命だ」等をがなりたてる鸚鵡。宗教や文化の違いがあっても、彼らは議論し、発掘に行き、馬で駆け、時に雪遊びをし、語り合い……、かけがえのない共通の時間を土耳古のこの下宿で過ごす。

自分は滅びたビザンツの末裔だと言うディミィトリスは、土耳古がかつてのビザンツと同じように退廃していくことを憂い、村田に日本の〈善き貧しさ〉を保つよう忠告する。

〈豊かな退廃など、私は今の日本に想像すら出来なかった。〉


下宿の村田の部屋では不思議な牡牛牡羊の角が現れたり、もらったお守りの稲荷の狐、黒犬のようなアヌビス神が像から抜け出て騒ぐが、下宿のみなはあまり動じない。
やがて土耳古の内情がきな臭くなってきた頃、突然村田に日本への帰国要請の手紙が……。土耳古での研究はまだ十分とは思わないが、村田は言う。

〈――十分、と思えるときは多分、一生来ないでしょう。しかしここで学べたことは私の一生の宝になるでしょう。〉


帰国してからの年月を追った最終章、第一次世界大戦に引き裂かれてゆく友たち、ディクソン夫人からの手紙。自分の元へやって来た衰えた鸚鵡に、村田は囁く。

〈――ディスケ·ガウデーレ〉


楽しむことを学べ。土耳古でそう教えてくれたのはこの鸚鵡だった。
あの土耳古の下宿での日々を思う、最後に綴られた村田の思いは胸に痛い。


〈……国とは、一体何なのだろう、と思う。 私は彼らに連なる者であり、彼らはまた、私に連なる者達であった。彼らは、全ての主義主張を越え、民族をも越え、なお、遥かに、かけがえのない友垣であった。〉



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by bookrium | 2009-02-01 01:57 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)