〈bookrium=book+aquarium〉本の海を回遊するブックリウムの、本と陶芸のある生活です。


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タグ:島田清次郎 ( 7 ) タグの人気記事

 
       〈私は何処に行くか
     
        瓦斯(ガス)が不足です

        風船の尾に私の名を書いた短冊をむすび

        私を昇天さしていたゞきませう

        私の生活は空の中に

        私の栄誉は炸裂すること

        私は私の名と共に

        この世に何も残したくはない。〉
『私に就いて』昭和3年

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すこし前まで徳田秋聲記念館で行われていた「島田清次郎展」。
いろいろ印象深かったです。いろいろ思うところあり、細かく感想を書く意欲なく。

前期ではたまたま行った日に、企画展示室で学芸員さんのギャラリートークも聞けました。
展示を見て胸をつまらせていた中年女性が印象に残ります。

清次郎は保養院でも冒頭のように詩(風船の登場が多い)や小説を書いていたのですが、自分の人生を振り返ったような未完の長編小説を残しています。『生活と運命 第一巻 母と子』という綴られた草稿がありました。本人の字ではなく、複写した厚い原稿の束。島田清次郎と母のつながりに興味があったので(母は清次郎の没後2年後位に亡くなっている)、これが現物か…と思った。どこかで内容を読めないのかなと思っていたので尋ねたら、学芸員さんに1983年の「昭和文学研究 6」の小林輝冶氏が島田清次郎の草稿を紹介したコピーをいただきました。うれしいことでした。

一番印象に残ったのは、保養院時代の清次郎の手紙です。
佐藤春夫、室生犀星、加能作次郎へ宛て。住所を書いて、切手も貼っていた。
便箋はすべて白紙だった。
清次郎が何を書きたかったかは誰にもわからないし、書けなかったのかもしれないし、ただ書く前に死んだのかもしれない。

名前を忘れたけど、編集者(?)の人からの葉書の最後に「地上のファンでした(意訳)」と書かれた部分だけグシャグシャに消してあったのも、印象に残りました。


展示は、島田清次郎がかつて本当に生きていたのだな、と思った。
父を知らない貧しい生活。その内の栄光は20歳からのほんの数年。25歳以降、地上に出ることも叶わず死んだ。清次郎が本当に病気だったのか、一時的なもので、回復し退院可能な状態だったとしたら、残した詩のあきらめの漂う明るい絶望感も伝わるのでは、と思います。
神童と言われた小学生の時に、本を抱えて凛々しい顔をして、母と撮った写真が好きでした。

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    〈われわれは彼から嗤はれる日が来ないとすれば、それでよし、

     われわれは彼から嗤はれる日が来ないとすれば幸ひである。

     但し、われわれを嗤ふ者は彼ではなく彼の様々な言葉である。

     彼は一度も嘗てわれわれが嗤ったごとく嗤ったことはなかった。〉


                  横光利一「文芸時代」大正14年

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by bookrium | 2009-10-28 01:32 | 北陸の作家 | Trackback | Comments(0)
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現在、徳田秋聲記念館では、生誕110年を記念した島田清次郎の展示をしています。
前期 7/18~8/20、後期 8/21~9/23まで。
8/9には小林輝治氏の講演と映画『地上』の上映会(泉野図書館)、9/5には山本芳明氏の記念講演(徳田秋聲記念館)が行われるそうです。
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by bookrium | 2009-07-30 21:07 | 北陸の作家 | Trackback | Comments(0)
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〈自分のこの涙は万人の涙であらう。自分は自分一人の寂しさに泣いてゐてはならない。あゝ、自分はどうなつても構はない。〉


写真は西の廓と入り口にある文学碑。
島田清次郎の『地上』第一部は高校2年生の時に、市の図書館で借りて読みました。石川近代文学全集4。
断片的に清次郎の生い立ちに重なる小説は、昔も衝撃的でしたが、今見てもやっぱり色んな意味で衝撃的です。


金沢で母と二人きりで暮らす中学生の大河平一郎。今日彼は、美少年の深井が2歳上の体の大きい長田に『稚児さん』になれと迫られているのを助けた。深井を家に送り、平一郎はぎょっとする。深井の隣家は、平一郎が淡い恋心を抱いていた小学校の同級生、朝鮮で母を虎に喰われて亡くした吉倉和歌子の家だった。和歌子と親しく遊ぶ深井への嫉妬を覚えつつ、平一郎は父もなく貧乏な自分は釣り合わないかもしれないと考えるが、恋心に火がつき和歌子へ手紙を書く。
自分の教育費のために亡父の残した家も売って針仕事をする母お光。その献身的な愛を受けて、平一郎は本当に自分は偉くならなくてはいけないと考えるようになる。

〈平一郎は何故か「偉くなる、偉くなる、きつと偉くなる。」とつぶやかずにゐられなかつた。母を待つ時の寂しさがやがて少年の胸に充ちて来た。〉


平一郎は深井に和歌子への手紙を渡してもらうよう頼む。再会した和歌子は美しい少女に成長していた。


お光を慕っている芸者で、平一郎にとっては姉のような冬子を頼って、二人は〈春風楼〉という廓の離れに暮らすことになる。廓にはそれぞれの不幸な事情でやってきた女たちが身を寄せあっていた。平一郎は土蔵を勉強部屋にするが、落ちぶれた母と自分の身が悔しくて、偉くなることを誓う。


平一郎達が春風楼に来て一月たたない真夏のある夜、恐ろしい事件が起きる。春風楼にお幸の客の川上が県庁土木課の役人を18人連れて来た。自分に反対する人間をもてなして欲しいと言う。他から3人娼妓を呼んでも足りず、春風楼の娼妓も2人ずつ、誰か1人は3人の男を相手にしなければいけない。狂暴な野獣のような叫びの宴の陰で、女達はくじ引きをする。くじで3人の男を引いてしまったのは、病気で臥せっていた小妻だった。青ざめた小妻を見た茂子は、自分が小妻の分も引き受けると叫ぶ。

〈自刃のやうに鋭い神経、身体に悶えるアルコールの狂ひ、口惜しい口惜しい、死んでも生きても消滅のしやうのない口惜しい屈辱。〉


翌朝、茂子はのたうち回っていた。小妻のうめき声を聞いて、茂子はその肩に手をかけるが、苦しみ悶えた顔で血を吐き、小妻は絶命する。茂子は突然、恐ろしく大きな警鐘にさいなまれ、両手で耳をふさぎ、家中を走り回り、戸障子を踏み破り暴れ回る。
その朝、発狂した茂子は護送馬車に乗せられ、小妻は小さい棺に入れられ、春風楼を去って行った。

事件から春風楼がひっそりとしていた7月、明治天皇が崩御した。人々の噂から逃れた春風楼には賑わいが戻ってくる。ある夜、東京の大実業家·天野栄介のお座敷に出た冬子は、3日間一緒に過ごして彼の人柄に惚れ、妾として東京について行く覚悟を決める。
春風楼に戻った冬子が天野をお光に紹介すると、天野とお光は驚愕する。封印していたお光の「埋れたる過去」が甦る。叔母と甥の近親相姦から生まれた3人兄妹。裕福だった少女時代。亡夫と婚約していた双子の美しい姉·綾子を無理矢理奪って行った天野、天野への憎しみから「きつと滅ぼしてみせます。」とお光に宣言して彼と駆け落ちして行方の知れなくなった綾子。自分達の運命を狂わせた天野に勝ち得るのは、息子·平一郎しかいないとお光は強く信じ、復讐のため、平一郎の学業のため、平一郎を東京の天野の元に預ける。……



第一部は舞台と人物を紹介し、色んなことが途中で終わるので、続きが非常に気になります。何か壮大な(ドロドロした)物語の幕開けを感じさせてくれる。映画は既にありますが(未見)、漫画か昼のドラマになればいいのにと思う。
廓の女たちの描写が際立っていると思う。
何百年にわたる大川村の成り立ちを描くところが、人々を引きのカメラで眺めていて、神の目線のようで、印象深かったです。



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by bookrium | 2009-06-09 16:20 | 北陸の作家 | Trackback | Comments(0)

『地上』人物紹介

島田清次郎『地上』の登場人物。登場する順に。ちょっと長い物語だから人物も多い(ほとんど自分用)。時代は明治天皇崩御の1911年。



大河平一郎…主人公。金沢の中学生。好物はバナナ。将来の目標は偉くなること。

お光…平一郎の母。お針子をして平一郎を育てる。旧姓北野。


深井…中学の同級生。美少年。将来は芸術家になりたい。
長田…同じ中学、二度落第している。柔道初段。深井に稚児さんになれと迫り、平一郎に殴られる。

吉倉和歌子…平一郎と小学校で同級生だった利発な美少女。朝鮮にいた幼少時、母を虎に食べられる。平一郎との文通交際を周囲に反対され、東京の洋画家の元へ嫁ぐ。


冬子…名妓と名高い春風楼の芸者。お光を慕っている。後に天野栄介の妾になり東京へついてゆく。

中村太兵衛…芸娼妓紹介業、春風楼の主。
お富…春風楼の女将。
お幸…春風楼の芸者。冬子より2つ下。
時子…春風楼の舞妓。廓で生まれ育った。20歳。
茂子…春風楼の芸妓。自分の意志に反して継母に売られてきたため、蔭鬱にしている。
米子と市子…父が分からない芸妓の子として春風楼に生まれ、廓しか知らない芸者見習いの少女たち。14歳。
菊龍…春風楼の芸妓。
富江…春風楼の芸妓。
鶴子…春風楼の公娼。まるまる肥えている。30近い。
小妻…春風楼の公娼。内気で神経質。25前。

川上…お幸の客。県庁の土木課の課長。彼が大勢の客を連れてきたことで、春風楼に事件が起きる。


天野栄介(一郎)…東京の大実業家。かつて青年思想家として、お光の姉綾子と駆け落ちする。冬子を妾にし、平一郎を引き取る。

北野伝右衛門…大川村の地主。お光の祖父。
北野容太郎…伝右衛門と先妻の子。6つ上の叔母で義母のお信に恋をし苦悩する。お光の父。
お信…容太郎の母の妹。32で58の伝右衛門と結婚する。お光たちの母。
お里…容太郎の妻。お信とのことを受け入れ、お光達兄妹を育てる。
北野容一郎…容太郎とお信の間の子。肉体に障害を負って生まれたが頭脳は明晰。受け継いだ全財産を大川村へ返却すると言葉を遺して自殺する。
綾子…お光の美しい双子の姉。俊太郎と婚約していた。自分を凌辱した天野を憎み、復讐するために彼と結婚する。

大河俊太郎…回船業の跡取りで、快活な性格の容一郎の親友。綾子の婚約者。後にお光の夫になる。平一郎が3歳の時に亡くなった。


校長…娘ばかりなので息子が欲しい。
体操教師…平一郎に厳しく当たる。平一郎の大事な冬子の傘を取り上げて笑う。
国語教師K…かつては小説家を目指した文学青年。幸田露伴に嫉妬。平一郎に好意的。
英語教師…ハンカチを振り回し細君に怒られる。6人の子持ち。月給53円。

原田…中学の五年。野球主将。深井のストーカー。


尾沢…深井に紹介された文学青年。同人雑誌「底潮」を作っている。
静子…尾沢の恋人。
永井…尾沢の友人。
愛子…永井の恋人。
宮岡…尾沢の友人。高等学校の学生。
山崎…帝大出身。新聞の論説など書いている。27歳。
瀬村…工業学校の助教諭。25歳。


乙彦…東京に行った平一郎が出会う、天野と綾子の息子。



…まあだいたいこんな感じでした。大小いろんなエピソードが多すぎて、なんだか散漫。でもおもしろいです。



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by bookrium | 2009-06-09 02:00 | 北陸の作家 | Trackback | Comments(0)
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杉森久英の句。
島田清次郎の没後65年の平成7年(1995年)に、清次郎の命日4月29日を美川町中央図書館では「地上忌」と名づけ、文学碑前で「島清をしのぶ放談会」を毎年行うことに決めたそうです。現在も行っているかはちょっと不明(追記…俳句会を行っているようです)。
今年は島田清次郎が生まれて110年、来年は没後80年になります。白山市市営共同墓地には、「文豪島田清次郎の墓碑」が建っているそう。この碑だろうか(碑は3つある)。
この「文豪島田清次郎」と書かれた墓碑について、「滑稽の感をまぬがれない墓碑」という文を書いた東京の古書店主がいた。残念だった。深い追悼、鎮魂を感じる言葉だと、思っていたので。島田清次郎があのような人生だったとは言え、死んだ人間の碑に、滑稽という言葉はないと思った。
清次郎を偲んだ、白山市の島清恋愛文学賞について、島田清次郎は地上というベストセラーを出したせいで人生を誤った、という認識の書評家が、そういう人の名前を掲げて文学賞を創った白山市を揶揄していた。これも残念だった。
清次郎は生きている時から笑われたけれど、死んでからも笑われているのだな、と思うと残念でならない。

現在、島田清次郎について何かしら書いたものの大半は、清次郎の『地上』を読んだ人間ですらない、杉森久英の小説に、マンガ、ドラマ、伝聞からが多いです。
島田清次郎について語った人たちの言葉の中で、印象深いのが3つあります。

1970年代に『地上』全巻を復刻した黒色戦線社の大島英三郎氏の言葉。
「私には、清次郎がいじらしくてならないのですよ」

脚本家の早坂暁氏(久世光彦『ひと恋しくて』より)
「不憫でならない」

小説家の横光利一
「我々が彼を嗤ったごとく、彼は我々を嗤わなかった」


特に横光利一の言葉は、はっ、と胸にくる言葉でした(関係ないけど中山義秀の描く横光利一は好きです。横光と清次郎は菊池寛つながりなんだろうか。前から気になっていたのだけど、横光と、文学青年で考古学者の中谷治宇次郎(弟、芥川龍之介の随筆に彼の小説がでてくる)がつながるから、科学者で清次郎と一歳違いの中谷宇吉郎(兄)とかも面識あったのだろうか?)。
清次郎を笑う人もいますが、忘れがたく思う人も、わずかにいる。清次郎の何が引きつけるのだろう? 立身出世を夢見て叶わなかった、明治の多くの青年が重なるからだろうか(ドラマのタイトルの「明治の息子」はそういう意味かと思った)。それとも、久世光彦さんが書いたように〈人間一つ間違えば、誰だって島清になるかもしれない〉怖さだろうか。

数年前、『本の雑誌』に文章を寄せた、清次郎に興味を持った精神科医·風野春樹氏のサイト「精神界の帝王 島田清次郎 on the Net」に、島田清次郎について1974年から研究しているという方が、言葉を寄せていた。どこかで研究をまとめているんだろうか。この人は清次郎をどんなふうに見ているのだろう。数年前に小林輝治氏が清次郎の自筆短冊を東京の収集家から貰った、という新聞記事があったけど、この人のことだろうか?(追記…これは古書店から購入したものみたいです)



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by bookrium | 2009-04-17 00:49 | 北陸の作家 | Trackback | Comments(0)
〈島田清次郎が自分自身を天才だと信ずるようになったのは、彼があまりにも貧しくて、父親もなく、家もない身の上だったからにちがいない。〉

昭和37年(1962年)第47回の直木賞受賞作、杉森久英の『天才と狂人の間』はそう言って始まる。雑誌「自由」に昭和35年11月から36年7月まで5回連載。当時杉森は48、9歳。

杉森は昭和30年頃、井伏鱒二より、島田清次郎は狂死ではなく、革命思想により政府に警戒されて入院させられていたという噂を聞き、興味を持つ。
杉森と清次郎にはいくつかの共通点があった。

没落した家の長子であること。
家族が金沢の花柳界と縁があること。
清次郎が七尾の郡役所で働いていた19歳の時、郡役所の前庭が遊び場だった6歳ごろの杉森と出会っていた可能性があること。
清次郎の婦女誘拐事件の被害者の姓が、杉森の祖父の金沢から来た後妻の母である〈でかおばば〉と同じであったこと。

〈彼がもし、生まれながらの貧者だったならば、そのような考えを起こさなかったかもしれない。〉


どうしても世間に名を挙げようと決心する清次郎。生まれた翌年に回漕業をしていた父を亡くして家は没落し、母の実家を頼る。祖父は公職から金沢の西の廓で吉米楼という芸者屋を開き、清次郎と母はその奥二階の一室で暮らし始めた。
神童と持て囃されたが、中学に入ると吉米楼の経営が苦しくなる。東京の実業家が英才教育の援助を申し出て、明治学院に転入するが、実業家が清次郎に断りなく母の再婚を斡旋したことに怒り、退学して金沢へ帰ってしまう。
母方の叔父を頼るも学費が負担になり、途中から商業学校に転入させられる。しかしここで文学に目覚めた。
清次郎はやがて宗教家の暁烏敏と親しくなり自由に振る舞う(暁烏敏は清次郎にかぎらず、科学者の中谷宇吉郎や漆芸家の松田権六の本にも出てきて、当時は石川の若者に大きな影響を与えていたのだろうと思う)。

商業学校を退学させられ、新聞社で働きながら、清次郎は10歳上で詩人として世に出始めた室生犀星に憧れる。犀星の育った雨宝院と清次郎の育った吉米楼は近い。
早稲田に入りたくて再婚した東京の母を頼るも、義父や叔父の理解を得られず、新聞社へ持ち込みをしても相手にされず、自殺未遂を起こしてしまう。母は離縁し清次郎と金沢へ帰り、人目を避けるかのように、犀川下流の貧民窟の鶏小屋を改造した小屋に住むことになる。
貧しく悲惨な状況で、我が子が天才か狂人かわからなくなり疑念を持つ母。ただ世間への反抗心をたぎらせて、清次郎は日記にこう書きつける。

〈私の心の底に一匹の虫が住まつてゐる。その虫は奇妙な怪物である。〉


その後、七尾の鹿島郡役所に務め、暁烏敏に京都の「中外日報」を紹介される。ここも2ヶ月で体よく追い出されるが、評論家生田長江を紹介され東京へ向かい、清次郎の人生は大きく変わることになる。この時20歳。

小説を読んだ生田長江と社会主義者の堺利彦の賞賛を受けて、新潮社から自伝的小説『地上 第一部 地に潜むもの』を発売。まだ20歳の写真を見ると眉目秀麗な地方の無名な青年の、格差社会を批判した恋愛小説が、文学愛好者以外の一般の人々まで受け入れられ爆発的なベストセラーとなり、上京からたった4ヶ月で清次郎は時代の寵児になっていた。
突然の異常な人気の渦の中で、清次郎はこういう文章を残した。

〈自分はもう四五年沈黙してゐたかつたのである。もう四五年、潜める竜でありたかつたのである。そしてこつこつ、図書館通ひや、山川の跋渉や、諸国の遍歴に自分を養ひたかつたのである。自分は家もなく資産もなく、只有るものは燃ゆる大志のみであつた……〉


彼に時間と少しの金の余裕があったら、狂乱な人生にならなかったかもしれない。

翌年、「地上」第二部を発表。この時には若者たちのヒーロー的存在になっていた。人気に浮かされて落ち着きのない日々を過ごす。第三部も版を重ねるが、徐々に清次郎の人気には翳りが見えてくる。

大正11年(1922年)23歳の時に、ファンで手紙のやりとりをしていた山形の少女、4歳下の小村豊子(発表時は健在だったため名は変えている。本名は小林豊)と結婚。洋行前に結婚をせかした清次郎に不安を覚えつつ、豊子は兄姉と上京する。上野で撒かれたビラの「文芸大講演会」の弁士の中に、清次郎の名を見つけ、この人の妻になるのだと豊子は誇らしさを覚えた。講演会を覗いてみると、豊子たちに気づいた清次郎は急に元気づいて熱弁を奮い、後で彼は〈今日ほど愉快に講演ができた日はなかった〉と語った。

〈しかし豊子は後年になって当時のことを回想した時、島田清次郎との短かい結婚の生活のうち、ほんとうに楽しかったのは、その日一日だけだったと思った。〉


金沢で清次郎と豊子と母の生活が始まるも、清次郎の豊子への追求と虐待、洋行に向かって10日も経たない内に女性スキャンダルが新聞に報じられたことから、豊子は実家に帰ってしまう。4ヶ月の短い結婚生活だったが、豊子は別れてから清次郎の子どもを生んだ。

清次郎は8ヶ月かけてアメリカ·イギリス·フランス·ドイツ·イタリアを周り、帰国。元々の調子に世界を見てきたことが加わり、尊大さがますます激しくなってくる。文壇の中からはそんな清次郎を嘲笑し、揶揄する者たちが現れた。同じ年に創刊された「文藝春秋」で清次郎は露骨な悪意の対象となり、〈帝王か馬鹿か低脳かこれやこの知るも知らぬも逢坂の関〉とまで書かれた。

翌年、清次郎は何度かファンレターをくれ無邪気に遊びに来たがっていた砂木良枝(本名は舟木芳江)という少女が、加賀藩出身の海軍少将の娘であり、作家の兄2人を持つことに気づき、興味を持つ。家に遊びに来させた1ヶ月後、清次郎は良枝を誘拐、凌辱、監禁したとして、新聞に一斉報道される。
同郷で砂木家とも交流があった徳田秋声に間に入ってもらうも、砂木家は清次郎を告訴。世間には清次郎を糾弾する者、舟木兄弟の清次郎の名声への嫉妬と見る者、同郷人として廓のお針女の息子を軽んずると見る者など、社会的スキャンダルになる。良枝から清次郎へ送った手紙が公開されたことにより、やっと告訴は取り下げられ、良枝にも非があった、不良少女だと、砂木家も非難の的となった。

〈それでは良枝はどの程度に無邪気だったか、それでも有邪気だったか?〉


事件の大正12年から30何年も経って、人々が島田清次郎も砂木良枝も忘れたころ、清次郎に興味を持った男が、ひっそりと暮らしていた良枝を訪ねた。男は良枝の話を聞いて涙が出そうになり、彼女の話を信じなければならないと思う。〈彼女はただ、小鳥のように無邪気で純真な小娘にすぎなかったのである。〉

〈「あたしはもう、昔のことはすっかり忘れて、生まれかわったような気持ちで暮らしているのに、まだ過去のほうから追っかけて来て、苦しめようとするんですか」〉


そう良枝は言う。杉森久英が『天才と狂人の間』を発表した時、まだ生存していた舟木芳江と小林豊にとって、この本で自分の過去を暴かれる、島田清次郎の話をされるのは、並の苦痛ではなかったと思う。許可を得て名前を変えて発表しているのだろうけど、苦しむのが分かっているのだから本当はふたりの死後に発表すべきだったのでは?と思う。

清次郎と良枝の事件から3ヶ月後、作家の有島武郎と「婦人公論」記者の波多野秋子との心中事件が起き、連日清次郎を報道していた世間の関心が一気にそちらへ移る。新聞雑誌の執筆依頼が途絶え、本の売れ行きもがた落ちになる。生活を立て直そうとした矢先に関東大震災にあい、金沢へ引き揚げて「改元」第二巻(実質「地上」の第六巻)の原稿を完成。しかし新潮社はじめ、どこの出版社からも出版拒否。金もなく、唯一の収入源である印税を絶たれ、清次郎は追いつめられていく。金策のために上京するも、宿代、散髪代、電車賃にも困り、徳田秋声、加能作次郎、中村武羅夫、吉野作造らを転々と頼り、最後に菊池寛を訪ねるも拒絶。

〈まもなく彼は血と泥にまみれた姿で、人力車に乗り、池袋の通りを通行中、挙動不審のかどで交番の巡査に逮捕された。〉


精神鑑定の結果、保養院に収容される。清次郎25歳。
母が入院費用を払えなかったため、公費患者となって、病状が快方しても入院継続。昭和5年(1930年)4月29日、〈精神界の帝王〉となりたかった清次郎は〈地上の帝王〉の生まれた日に、肺結核で亡くなった。

栄光の短い清次郎の数奇な31年の人生を、杉森久英は丹念に描いている。それでも、杉森の中の清次郎像というものを見ている感じにもなる。なぜここは書かないのだろうとか、この人の名は出ないのだろうとか、色々気になった。杉森の島田清次郎のイメージ像は、大きな影響を与えていると思う。

清次郎の晩年の姿を、杉森はこのように書いた。

〈彼はときどき新聞や雑誌を読んだり、自著「我れ世に敗れたり」のページを繰ったりして、思いに沈んでいたが、そこには往年の傲岸不遜の影は微塵もなく、ただ打ち挫がれた者の淋しい姿があるばかりだった。彼は医員に対しても、同僚の患者に対しても、ただただ謙遜で、丁重で、お辞儀ばかりしていた。〉


小説では紹介されなかったけど、退院の要望を出しても叶わなかった保養院の中で、清次郎が書いた詩『明るいペシミストの唄』は好きです。



          わたしには信仰がない
          わたしは昨日昇天した風船である
          誰れがわたしの行方を知っていよう
          私は故郷を持たないのだ
          私は太陽に接近する。
          失われた人生の熱意――
          失われた生への標的――
          でも太陽に接近する私の赤い風船は
          なんと明るいペシミストではないか。



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by bookrium | 2009-04-15 01:33 | 北陸の作家 | Trackback | Comments(2)
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知っている人は、半ば愛惜をこめ、半ば軽侮して〈シマセイ〉と呼び、知らない人は、みごとに何も知らない。それが島田清次郎である。〉

『ひと恋しくて 余白の多い住所録』で、久世光彦さんは島田清次郎のことをこう書き出しました(表紙にも宇野亜喜良描く島清がいます)。

〈どうしてか、島清のことが気になって仕方がなかった。ジュリアン·ソレルは卒業できたつもりでも、島清が二十二歳の秋からまとわりついて離れないのである。人間一つ間違えば、誰だって島清になるかもしれない怖さからだろうか。それとも、悪い夢でも、見ないよりは見たいと願うのが人間だと思うからなのだろうか。何とか私は、私の中の島清を片づけないと、気持ちの落ち着きが悪いのである。そう思いはじめて十年ほど経った二年前、早坂暁さんが「島清をやろう」と私に囁いた。〉


1994年に中央公論社から出た本。早坂暁氏は島清のことが〈不憫でならない〉と久世さんに言います。早坂暁氏のことを久世さんはこう綴りました。

〈ふとこの人が洩らした〈不憫〉という言葉に、私は拘泥した。この人には、アウトサイダーへの〈不憫〉の情と、それとおなじくらいの同化願望があるのではないか。いま、ゆくりなくもインサイドに在る自分に浮き足立ち、激しい含羞(はじらい)に身をよじっているのではあるまいか。(中略)この人はそろそろ老年にさしかかろうとして、不遜の少年なのである。堕落の少年なのである。不安の少年であり、驕慢で小心の少年なのである。〈不憫でならない〉の一言を聞いて、私は、はじめてこの人を好きだと思った。〉


演出家の久世光彦と脚本家の早坂暁に、〈同病〉のNHKの高橋康夫氏が話に乗って、〈島清〉はドラマになりました。清次郎没後65年の平成7年(1995年)の春に放送された「涙たたえて微笑せよ 明治の息子·島田清次郎」。主演は本木雅弘。

ドラマの放送時は高校生になったばかりだった。けれど島田清次郎のことはその前から知っていたので、このドラマをとても楽しみにして見た(でも冒頭の元妻·清水美砂の数十年後役を演じる加藤治子しか覚えてない)。当時は久世ファンでもなかったので『ひと恋しくて』は放送後に読みました。
清次郎を知ったのは、14歳位の時に読んだ森田信吾の『栄光なき天才たち』というマンガです。このシリーズは清次郎以外も浮谷東次郎とかフーディーニとか印象深い人達ばかりでした。今は文庫版とか携帯でも読めます。杉森久英の『天才と狂人の間』を読むと、マンガの8、9割がこの本からだった。でも10年以上強く印象に残っていた2つのシーンが、杉森本にないマンガのフィクション部分だったのが面白い。
印象に残っていたのは、廓で育つ少年時代の清次郎が芸妓見習いの美しい少女とふたりきりで話していて、少女が蚊を叩き「馬鹿な蚊……」と呟くシーン。それに、小説『地上』の原稿を渡したがなかなか読んでくれない生田長江の家に、清次郎が夜忍び込んだら、生田が清次郎の原稿を真剣に読んで深く感動しているところ。

島田清次郎は明治32年(1899年)に石川県の美川町で生まれ、2歳で父と死別、5歳から母と金沢の西の廓で暮らし始めた。20歳で新潮社から発表した『地上』第一部が空前のベストセラーになるが、その言動、女性スキャンダルから失墜、25歳の時歩行途中に挙動不審で尋問逮捕される。早発性痴呆症と精神鑑定を受け保養所に収容され生涯退所できず、昭和5年(1930年)31歳で肺結核で亡くなった。

〈しかし、この知ってる知らないの比率は、一対九十九ぐらいで、つまり世のほとんどの人は、いま島清の名前さえ知らない。〉


久世さんはこう書きましたが、今も島田清次郎を話題にするのは杉森久英の本か、マンガか、ドラマで見知った人たち位です。比率は大して変わってないと思う。

清次郎の『地上』はドラマを見た後17歳位の時に図書館で借りて読みました。その後、金沢で彦三町の金沢商業学校跡の前(学校の碑が建ってる)をよく通ると「清次郎が15歳の時に通った」と思い、バスとかで紫錦台中学校のそばを通ると「清次郎が通った学校(二中)+地上の冒頭」と思い出していました。
この十数年、なんとなく清次郎のことを時折思い出すのですが、思い出すだけで何もしない。西茶屋街には資料が展示してあるそうです。まだ見てない。昔の石川近代文学館にも展示がありました。
清次郎のことについて書かれたものは、言動やその生涯からか、現在も揶喩したものが大半です。『天才と狂人の間』は概ね中立だと思う。

清次郎はそれほど笑われる者だろうか? と時々思う。でも不憫に思う人も、今はあんまりいないだろう。
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by bookrium | 2009-04-10 08:27 | 北陸の作家 | Trackback | Comments(0)