〈bookrium=book+aquarium〉本の海を回遊するブックリウムの、本のある生活です。


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立春――『立春の卵』

立春(りっしゅん)……旧暦で、この日から春となる。厳しい冬の寒さの中に、ふと春の気配を感じはじめる頃。

〈立春の時に卵が立つという話は、近来にない愉快な話であった。〉

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岩波文庫『中谷宇吉郎随筆集』より。
〈昔から「コロンブスの卵」という諺があるくらいで、世界的の問題であったのが、この日に解決されたわけである。というよりも、立春の時刻に卵が立つというのがもし本統ならば、地球の廻転か何かに今まで知られなかった特異の現象が隠されているのか、あるいは何か卵のもつ生命に秘められた神秘的な力によるということになるであろう。〉

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中谷宇吉郎は外国で卵が立った新聞の記事を読み、〈しかし、どう考えてみても、立春の時に卵が立つという現象の科学的説明は出来そうにもない。〉と疑問を持つ。
〈立春は二十四季節の第一であり、一年の季節の最初の出発点であるから、何か特別の点であって、春さえ立つのだから卵ぐらい立ってもよかろうということになるかもしれない。しかしアメリカの卵はそんなことを知っているわけはなかろう。とにかくこれは大変な事件である。〉

寒さのために卵の内部が安定した説、重心、流動性、科学者たちの説明はどれも一般の人、そして中谷を納得させない。
〈一番肝心なことは、立春の時にも立つが、その外の時にも卵は立つものだよ、とはっきり言い切ってない点である。〉


〈一番厄介な点は、「みなさん。今年はもう駄目だが、来年の立春にお試しになってはいかが」という点である。しかしそういう言葉に怖(おじ)けてはいけないので、立春と関係があるか否かを決めるのが先決問題なのである。それで今日にでもすぐ試してみることが大切な点である。〉


朝新聞を読んだ中谷は早速妻にひとつだけあった卵を持って来させ、食卓で卵を立ててみる。
妻も別の机で立ててみる。
つぎは、ゆでた卵を立ててみる。〈大いに楽しみにして待っていたら、やがて持って来たのは、割れた卵である。「子供が湯から上げしなに落としたもので」という。大いに腹を立てて、早速買いに行って来いと命令した。細君は大分不服だったらしいが、仕方なく出かけて行った。〉
細君は卵二つを買って帰ってきた。〈子供が病気だから是非分けてくれと嘘をついて、やっと買って来たという。大切な実験を中絶させたのだから、それくらいのことは仕方がない。〉
生卵、ゆで卵での検証をする。割ってみて、黄身のサイズも計る。

〈要するに、もっともらしい説明は何も要らないので、卵の形は、あれは昔から立つような形なのである。〉

〈人間の眼に盲点があることは、誰でも知っている。しかし人類にも盲点があることは、余り人は知らないようである。卵が立たないと思うくらいの盲点は、大したことではない。しかしこれと同じようなことが、いろいろな方面にありそうである。そして人間の歴史が、そういう瑣細な盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである。〉




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by BOOKRIUM | 2012-02-04 10:50 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)
春分(しゅんぶん)……昼と夜の長さがほぼ同じになる頃。この日から後は昼の時間が長くなって行く。花冷えや寒の戻りがあるので、暖かいと言っても油断は禁物。彼岸の中日。


〈十一月、「春昼」新小説に出づ。うたゝねに恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき。(中略)「春昼後刻」を草せり。蝶か、夢か、殆ど恍惚の間にあり。〉
(自筆年譜)
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栞にしている観覧券は、泉鏡花記念館にはじめて入った時のもの。裏には〈2000年.9月.6日(水)〉と書いてあった。
『春昼』は明治39年11月、『春昼後刻』は同年12月に発表。鏡花33歳。
前年に祖母を失い、鏡花は静養のために妻すゞを伴って、東京から逗子へ転居した。静養は明治42年2月まで及んだ。
『春昼』は高校生の時読んだ。同じ逗子の頃の『草迷宮』も好き(久世光彦さんが5歳位から読んでた話を書いてた)。


おだやかな春の昼下がり、散策の途中、書生の青年は山寺の丸柱に貼られていた歌に目を留める。懐紙に優しく美しく書かれた女文字。出会った気さくな和尚から、その和歌にまつわる不可思議な男女の物語を聞く。

〈しかし、人には霊魂がある、偶像にはそれがない、と言うかも知れん。その、貴下(あなた)、その貴下、霊魂が何だか分らないから、迷いもする、悟りもする、危みもする、安心もする、拝みもする、信心もするんですもの。
  (中略)
偶像は要らないと言う人に、そんなら、恋人は唯だ慕う、愛する、こがるるだけで、一緒にならんでも可いのか、姿を見んでも可いのか。姿を見たばかりで、口を利かずとも、口を利いたばかりで、手に縋らずとも、手に縋っただけで、寝ないでも、可いのか、と聞いて御覧なさい。
 せめて夢にでも、その人に逢いたいのが実情です。〉


そう言う和尚の言葉を聞いた男は、柱にあった歌を思い出す。
小野小町の古歌を書いたのは、玉脇みをという美しい婦人だという。その恋歌のために、一人殺した。

〈恋で死ぬ、本望です。この太平の世に生れて、戦場で討死をする機会がなけりゃ、おなじ畳で死ぬものを、憧(こが)れじにが洒落ています。〉

詳しく話を聞くと、この久能谷に住むという玉脇夫人、その家には以前、ある客人の男が住んでいたという。客人は和尚に自分の恋心を語っていた。

〈唯すれ違いざまに見たんですが、目鼻立ちのはっきりした、色の白いことと、唇の紅(あか)さったらありませんでした。
  (中略)
 真直に前に出たのと、顔を見合わせて、両方へ避ける時、濃い睫毛から瞳を涼しく?(みひら)いたのが、雪舟の筆を、紫式部の硯に染めて、濃淡のぼかしをしたようだった。
 何とも言えない、美しさでした。〉


恋心を募らせた客人は、山路から囃の音に誘われて靄に包まれ、大きな横穴のある行き止まりに出る。ふと、拍子木がカチカチ鳴る。

〈で、幕を開けたからにはそれが舞台で。〉


ぼんやり一人で窪みを見ていると、暗い穴が30、50と。その中にずらりと並んだ女、女、女。座ったの立ったの片膝立てたの、緋の長襦袢、血を流したの、縛られたの。遠くの方は、ただ顔ばかり。仕切りの中からふらり、一人の婦人が音も無く現れて、舞台へ上がった。じっと客人の方を見る。その美しさ。――〈正しく玉脇の御新姐で。〉

客人が見たのは玉脇みをだけではなかった。
拍子木が鳴り、自分の背後から、ずッ、と黒い影がみをに寄り添う。こちらを向いた影の顔は、自分だった。影の自分は玉脇みをの寝衣の上を指の先でなぞる……△、□、◯と。
それを見た客人が夢中で逃げた翌日、玉脇みをは参詣し、あの歌を貼付けた。

   〈うたゝ寝に恋しき人を見てしより
         夢てふものは頼みそめてき
                ――玉脇みを――〉


客人の死骸は海で見つかった。(『春昼』)


和尚から話を聞いた男は庵を辞し、話を思い返しながら帰路につく。
ふと、行きがけに出会った、畑仕事をしていた親仁と再会する。寺に行く前、ある家を伺っていた蛇を忠告したのだ。親仁が蛇を片付けた後、家の主が忠告してくれた男に礼を言いたいという。
土手の上で紫の傘をさして休む、霞の端を肌に纏ったような美しい人。
玉脇みをだった。
彼女は「恋しい懐かしい方」に似たお方、と男のことを言う。

〈「そういうお心持ちでうたた寝でもしましたら、どんな夢を見るでしょうな。」
 「やっぱり、貴下のお姿を見ますわ。」
 「ええ、」
 「此処にこうやっておりますような。ほほほほ。」〉

〈「貴下、真個(ほんとう)に未来というものはありますものでございましょうか知ら。」
 「…………」
 「もしあるものと極りますなら、地獄でも極楽でも構いません。逢いたい人が其処にいるんなら。さっさと其処に行けば宜しいんですけれども、」〉


みをが持っていた手帳に、歌か絵が出来たのかと男は見せてもらう。
一目見て男は蒼くなった。
鉛筆で幾度も書かれていたのは、◯、□、△……。

太鼓の音が聞こえ、ふたりの前に獅子頭を乗せた角兵衛の子供たちが現れる。上は13・4、下は8つばかり。みをは子供たちを呼び止め、言づてを頼む。

    〈君とまたみるめおひせば四方の海の
           水の底をもかつき見てまし〉


手帳の端に書いた受け取る人のない歌。唯持って行ってくれればいい、とみをは子供たちに言う。上の子は幼い方の獅子頭の口を開いて、その中に納めた。

〈水の底を捜したら、渠(かれ)がためにこがれ死にをしたと言う、久能谷の庵室の客も、其処に健在であろうも知れぬ。〉


男はこの後、手紙の行方を知る。

〈玉脇の妻は霊魂の行方が分かったのであろう。〉
(『春昼後刻』)

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気になったところ覚え書き…
・観世音菩薩(桜心中でもでた)
・獅子頭の中に供える(天守物語でも)
・客人と、みをの△?◯の順番が違うのは意味がある?
・△?◯は墓石?
・囃、舞台の拍子木と、角兵衛獅子の太鼓。
・和尚が語るスタイル(高野聖のような入れ子)
・夢うつつの舞台(泉鏡花記念館で再現)より、みをのノートが怖い。


 
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by bookrium | 2010-03-21 16:30 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)

中勘助『妙子への手紙』

〈今に私がお爺さんになって死んでしまって、あなたが今のお母様のような立派な奥様になって、丁度今のあなたみたいな、ひよっこで、おてんばで、可愛らしいお嬢さんにお噺をせびられるようになったとき、私のことなんぞは忘れてしまってもこのお噺だけはわすれないできかせることができるようによく覚えていてちょうだい。〉

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大正6年(1917)5月、中勘助は一高時代の友人·江木定男の幼い娘·妙子への手紙で、そう綴った。
まだ膝にのっていた頃、いつかの帰り道、ふたりで手をつなぎながら話した物語を、若き母になって巴里に暮らす妙子のために書き改め、昭和3年に発表した。
昔の印度、亡き恋人を刻んだ石像にその魂が還ることを祈り、神の怒りに触れ自らの命を失った若者の恋を描く『菩提樹の蔭』。

中勘助は明治18年(1885)5月22日に生まれた。
妙子が生まれたのは明治41年(1908)、中が23歳の時だった。
岩波文庫の『菩提樹の蔭』には『郊外 その二』『妙子への手紙』が収められ、中と妙子の交流がうかがえる。
『妙子への手紙』の冒頭で、〈妙子はかわいそうな子だった。〉と中は書く。
祖母にかわいがられて育てられたために実母との間に距離があり、成人してからは祖母とも間があった。

〈妙子はたぶんお母さんからうけた爆発的な感情と電光的な神経をもちながら境遇上それだけ一層自ら淋しい批判的な人間になっていった。家族間の感情の衝突の一つの原因となり、争いの場におかれた者の不幸である。〉


子供好きなところに、家庭の不和と妙子の持つかわいらしさから、中はまるで小さな恋人のように妙子をかわいがった。
15·6の時、妙子は父と死別する。
江木は妙子の運命を心がかりにし、家族の唯一の事情通で中立者の中を妙子は頼るようになる。結婚後も、本当の父親以上の無私の点を中に見たのか。

〈妙子はおりおり私のまえで悔いて、嘆いて、たまには叱られて、涙にとけて流れてしまうかと思うくらい泣いた。〉
〈昔妙子がこの膝のうえにこの腕の抱擁のうちにあったように妙子はその一生をとおして善きにも悪しきにも常に私の慈悲のなかに生きていたのである。妙子は自らの涙の流れをもって洗い去るべきものを洗い去った。〉


『妙子への手紙』は大正5年(1916)、中が8歳頃の妙子に宛てたひらがなの手紙からはじまる。大正8年頃まで少女へ成長していく妙子へ。間を空けて昭和3年妻に母になり、夫と供に巴里へ行った妙子へ。平塚からジュネーブの妙子へ。手紙の終わりには夫の〈猪谷さんに宜しく〉と書き添えて。子供の時に妙子にした話を改めて「菩提樹の蔭」を書いたこと。昭和5年の頻繁なやりとり。中からの手紙だけが綴られていても、手紙の向こうの妙子の返事がぼんやり浮かんでくる。昭和7年6月、妙子をなだめる父のような手紙。

〈あとは野となれじゃ困るよ、私だってあなたを頼りにも、慰めにも、喜びにもしているんだのに、私の膝はいつでもあなたのためにあけてあるのに。あんまり自分勝手をしちゃ困る。元気を出しなさい。すこし私を見習いなさい。強そうな弱虫!〉


昭和17年(1942)7月、妙子は死去した。

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中のまわりでは、妙子の生まれる前年、父が死去した。妙子が生まれた翌年の明治42年(1909)24歳、中が東京帝国大学国文学科を卒業する直前、九州帝国大学教授の兄·金一が脳出血で倒れる。以来、兄嫁·末子の後見、財務整理、思考能力の減退した兄の看護、中家の重苦を背負う。
大正2年(1913)28歳、夏目漱石の推薦で『銀の匙』が「東京朝日新聞」に連載された年。一高時代からの親友·山田又吉が安倍能成宅で自殺する。
昭和17年4月、兄嫁が59歳で死去。7月、妙子が亡くなる。10月、中の結婚式当日、兄は71歳で死去した。中は57歳になっていた。
中勘助は昭和40年(1960)5月、80歳まで生きた。

妙子の生きた時間は、中が苦しんで生きた時間でもあった。『妙子への手紙』に一切あらわされないその苦しみと、自らの苦しみを綴った妙子からの手紙を燃やした中にとって、妙子の存在がどれほどのものだったかは、他人にはわからない。

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 〈あなたが生れたことは私に大きな幸福だった
  あなたとくらしたことは私に大きな幸福だった
  あなたのこれまでにない静かな最後の顔をみたことは私にせめてもの慰めだった
  妙子や 三十五年は長かったね〉



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by bookrium | 2009-12-11 13:52 | 好きな本 | Trackback | Comments(0)
小雪(しょうせつ)……日ごとに冷え込みが増し、木枯らしが吹き始める頃。本格的に冬に入ります。
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〈十歳で狩りに入った時から、彼は、自分が新しく生まれ直したと感じた。それは奇妙なことでさえなかった。空想したことを今度は実際に経験したのだ。だからいま見ている野営地もすでに空想した通りのものなのだった〉

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by bookrium | 2009-11-22 03:15 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)

白露――『天守物語』

白露(はくろ)……秋の気配が感じられる頃。大気も冷えてきて、朝夕に露が見えはじめます。秋草が揺れ、虫の音も聞こえます。


〈――そうおっしゃる、お顔が見たい、唯一目。……千歳百歳(ちとせももとせ)に唯一度、たった一度の恋だのに。〉


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播州姫路〈白鷺城〉の天守に、魔物が棲むという。
物語の始まりで、天守夫人〈富姫〉の侍女たちは唄いつつ、五重の天守から秋草を釣る。白露を餌にして。
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〈千草八千草秋草が、それはそれは、今頃、露を沢山(たんと)欲しがるのでございますよ。刻限も七つ時、まだ夕露も夜露もないのでございますもの。〉

侍女の〈葛〉は奥女中の〈薄〉にそう言う。
富姫の妹分、猪苗代の〈亀姫〉が手鞠をつきに遊びに来るので仕度をしていたところ。富姫から見れば長屋の主人、姫路の城主、播磨守が鷹狩に出たので、霧を渡って輿で訪れる亀姫に不作法があってはと、富姫は〈夜叉ケ池〉の主〈白雪姫〉に嵐を頼んでいた。
〈朱の盤〉〈舌長姥〉らを伴って、亀姫は天守に到着する。富姫への土産は、播磨守と兄弟の、亀姫の棲む亀ケ城の城主の首。富姫はそれを獅子頭に供え、獅子は首を呑み込んだ。
亀姫への礼にと、富姫は白い雪のような翼を持つ鷹を播磨守から奪い、地上からの矢や鉄砲を虫のように払う。
亀姫が去ってしばらくすると、ひとりの男が天守に上って来た。武士の名前は〈姫川図書之助〉。

〈百年以来、二重三重までは格別、当お天守五重までは、生あるものの参った例(ためし)はありませぬ。〉


そう言う図書之助は播磨守の命で、天守に隠れた秘蔵の鷹を探しに来た。

〈翼あるものは、人間ほど不自由ではない。千里、五百里、勝手な処へ飛ぶ、とお言いなさるが可い。〉


富姫の言葉に従う図書。生ある人ではない姿を見、どうするつもりか姫が訊くと、この天守が貴方のものでも殿のものでも、〈いずれにいたせ、私のものでないことは確でございます。自分のものでないものを、殿様の仰せも待たずに、どうしようとも思いませぬ。〉と〈すずしい言葉〉で図書は言う。その心のために、図書は姫に許される。もう来てはならぬと、〈此処は人間の来る処ではないのだから〉と言われて。……

天守から降りる途中で蝙蝠に燈を消され、図書は再び富姫の元を訪れてしまう。暗闇で男が足を踏み外し怪我をするより、姫に生命を召される方を選んだのだ。その勇ましさに姫は惹かれる。
図書は切腹を命じられていた。鷹匠の彼が播磨守の白鷹を天守に逸らした罪だという。その鷹は姫が取ったのだと聞き、図書は思わず刀に手を掛ける。

〈鷹には鷹の世界がある。露霜の清い林、朝嵐夕風の爽かな空があります。決して人間の持ちものではありません。〉


美しく気高い姫君に、自分の身、心、生命を捧げられても、図書は地上にまだ親や師の未練があった。
清い心を持つ図書に、富姫は天守に上った記しの品と家宝の青竜の兜を渡す。〈今度来ると帰しません。〉と告げて。
かねてからの望みに叶った男を、自分の力で無理に引き留めることも本当はできた。でも、力で人を強いるのは播磨守のような者のすること。

〈真の恋は、心と心、……〉


そう呟く姫の元に、兜を盗んだ逆賊と知らぬ罪に追われた図書が逃げ込んで……。

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泉鏡花の戯曲『天守物語』は高校生の時に読んだり(そのころ映画になった)、写真の波津彬子さんの漫画で読んだりしました。この文庫の漫画は、9年位前に、泉鏡花記念館に初めて行った時にショップで購入。『天守物語』の他にも戯曲『夜叉ケ池』『海神別荘』と、巻末では泉鏡花記念館を訪ねる漫画も載っています。解説は人形師の辻村寿三郎。
『夜叉ケ池』では、池の主〈白雪姫〉が白山の〈千蛇ケ池〉の若君に恋わずらいをするのですが、千蛇ケ池は中学1年生の時、学校の白山登山のついでに希望者だけで見に行きました(当時は千蛇ケ池の昔話を知ってたので見たかった)。鏡花も登っただろか?

『天守物語』は富姫と図書の恋だけではなく、姫の過去や獅子頭の伝説、姫の百姓への思いやりと私欲のない鳥の自由さが印象深いです。

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by bookrium | 2009-09-07 14:58 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)

阿部知二『冬の宿』

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〈……私の記憶はみな何かの季節の色に染まってゐる。〉

そういって始まる「冬の宿」は翻訳家?作家の阿部知二(1903-1973)が昭和11年、30代はじめに書いた小説。文庫の奥付を見ると1956年に第1刷、1992年に第14刷となっている。読んでて映画になりそうだなと思ったら、昭和13年になってた。原節子も出演。

この本は古本屋で購入してからしばらく経つけど、読み始めたきっかけは先に目を通したあとがきにあった著者の言葉。

〈また、これを書いた昭和十一年といえば、それが二?二六事件の年だったといえば、もはや多言を必要としないだろう。大正末から昭和初めへの恐慌から抜け出ようとする日本は軍事體制というものをしだいに取ってきた。そのとき、あらゆる進歩的な運動や思想がむごたらしく踏みにじられた。そのようなことにかかわりなかった私のようなものにも、いいようのない暗い気持を、それらの光景はあたえた。一方、皮肉なことには――軍需景気というようなものであろうか――消費的な生活はかなりはなやかになってきており、しかもそれが眼前に見る二?二六事件のようなものを同時に伴っていた。その矛盾は心をいためつけた。また眼を未来に向けようとすれば、――私は歴史的な眼を持っていたのでないから、ただ漠としてしか感じなかったのだが、何か恐るべきことが起るという豫感があった。〉


ちょっと長い引用ですが。ここが強く印象に残り、最初から読み始めました。
「冬の宿」は主人公の大学生の〈私〉が大正末か昭和初頭、数年前に寄寓していた〈霧島家〉でのひと冬を回想した小説。

地方出の〈私〉は、学校や社会運動に入っていく友人と馴染めず、華美な伯父の家や従妹たちに反発しながら、あれこれ恋愛したりやめたりした中のひとり〈庵原はま江〉ともうまくいかなくて、なるべく皆から離れた下宿を探す。
見つけたのは貧民街の崖の上に建つ〈霧島家〉の二階の六畳だった。すぐに住み着いた私はそこで、地方の豪農から没落した主人の〈霧島嘉門〉、敬虔なクリスチャンの妻の〈まつ子〉、悪戯ばかりの兄〈輝雄〉と泣いてばかりの妹〈咲子〉と暮らし始めた。

〈私は、この家の、夫と妻、父と息子、父と娘、母と息子、母と娘、兄と妹の関係の切断面、その心理的生理的な反発と執着の切断面をみるにつけて、その冷やかで新鮮な知識の角度をよろこんだのだ。そして、できるだけ非人間的な関係に自分を置いてその知識欲をみたそうとした。〉


やがて、この家に〈高〉という朝鮮人の医師が同居することになる。
霧島家のどんどん苦しくなる生活と、目には見えないが、夜更けまで編み物仕事をし献身的に一家を支えるまつ子と神のように溺愛される輝雄そして高、乱暴で放蕩を尽くす嘉門と兄に苛められ不憫な咲子そして私、家の中がふたつに分かれた所へ庵原はま江が病気でサナトリウムに入っている手紙が届く。旅費を嘉門に借りた私はもう一度やり直せる空想をしていたが、病室にいたのは、はま江と談笑する大学の講師〈劍持〉だった。

ある雪の日、高が献身的に世話していた朝鮮人労働者のための病院が火を起こして大半を焼いてしまう。朝飛び出して行った後、高は行方をくらまし、病院は放火ではないかと疑われる。高の荷物の中には、まつ子を匂わせたある夫人への想いを綴ったものがあった。

貧しさから身を売ることすら考えたまつ子に悩みを打ち明けられた大雪の夜、私の頭にもよぎったものがあったが…突然、嘉門にまつ子との不義をなじられ追い出されてしまう。――それは輝雄の嘘の密告だった。

私は衝動にまかせ庵原はま江に面会に行く。冷ややかな彼女と別れ、町はずれのホテルに泊まる私の元に、その夜、土砂降りの中濡れたはま江がやってくる。

〈「私がこはい? 咳が――。」
 「こはくなんかない。」さういつた時に、私たちはベッドのうへに體を付けあつて横はつてゐた。」〉


病院の追手にはま江は連れられて行き、翌朝私は故郷へ向かう。郷里には私宛の高からの長い手紙が届いていた…。


この後もう少しだけ話は続くのですが、小説の言葉を借りれば、〈すくわれないスノッブ〉〈反発と冷笑〉だと読んでて思いました。
著者はあとがきの最後にこう書いています。

〈私は、こういう作品を書いてから二十年ほど過ぎてから、ようやく、現実というものを、こういう作品のように傍から感覺的に心理的に見るだけでは、人間らしく生きたということにならず、私たちは現實の中に生きながら、すこしでもそれをあらためてゆくようにするべきであり、文學はそのようなことと無関係であるはずはない、と思うようになった。まったく鈍いことであった。〉


ちょっと調べてみて、阿部知二は翻訳(ホームズや嵐が丘や白鯨とか)はともかく、小説は最近読まれてないのかな…と思いました。取り上げる人もいないよう(荒川洋治の本でちらっと出ている)。名前も知らずに選んだ一冊ですが、今でも読まれていい小説だと思います。一緒に収録された短篇「地図」の方が読みやすいかも。少年が心の中に空想の地図を描いて、いろんな体験をしてはそれを地図に投影し、大人になって実際の世界の手強さを感じつつ、眠られぬ夜にはやっぱり地図の記憶を辿る…という話。著者自身がやはり地図で心なぐさめていたようです。

調べていて見つけた中高年向けのHPに寄せられた下山良行さんという方の『捕虜収容所の一冊』という文章に、この「冬の宿」についての思い出が書かれています。当時どのように読まれていたか少し知れました。



 
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by bookrium | 2008-12-19 14:14 | 好きな本 | Trackback | Comments(0)

うるしの話

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伝統工芸や職人というのに20歳すぎから興味を持って、各地の工芸の本や民芸の本、職人の聞き語りなどを読んだりしていました。
ものを作る仕事にはいろいろあるけれど、石川育ちなので、加賀友禅、輪島塗、九谷焼、山中漆器など子供の時から馴染みがあります。

きのう休みだったので石川県立輪島漆芸美術館へ初めて行ってきました。展示は第25回日本伝統漆芸展。作品名や作者と一緒に技法や材質が表示されていて、本で読んでた技法は実物はこういうのなのかぁと興味深かったです。

タッチパネルで松田権六氏の製作風景をテレビで見られてうれしかった。30分位。大場松魚氏のもあったけど、集中して見て疲れたのでまた今度。

ミュージアムショップで朝日新聞社の「週刊 人間国宝」を見つけて、松田権六、大場松魚の号を購入。松田権六の表紙の写真にかなりグッとくる。中も作品写真がきれい。さっきテレビで製作風景を見た「蒔絵槇に四十雀模様二段卓」が載っていて、おぉ、となる。
「蓬莱之棚」は岩波文庫の「うるしの話」の表紙にも使われています。石川県立美術館蔵だけど、未だ見ず。写真でも美しいなぁ、実物早く見たい。文庫の解説を大場松魚氏が書いていて、「松田権六先生の思い出」という文がとても好きで何度も読み返しました。亡き師を慕うあたたかい文章だと思う。

その中で制作を手伝ったこの棚についても触れ、東京の空襲が激しくなるなか、いつでも運びだせるように布団にくるんで枕元に置いていた、とか。
『週刊 人間国宝』によるとこの棚の底裏には敗色濃い戦況が克明に記されているそう。日本がどうなるかわからない中で作り上げたというのが凄い。

『うるしの話』もとてもおもしろい一冊。3日3晩にわたって語った話を半分削ってこれだけに。漆というふしぎな樹液、さまざまな技法を詳しく紹介しています。
修行時代の話もおもしろく読みました。7歳から始め、東京へ出て、学校は出たけど仕事がなくペンキ屋をやって傾いた家の2階に住んでたまに1階の魚屋手伝ったり、貧乏していたこともあったそう。

最近輪島塗の本を読んだら出てくる職人みな尋常小学校を卒業してすぐ弟子に…とかだった(故人だが)数えで13とか。
なので文藝春秋 赤木明登『漆 塗師物語』は27歳から輪島塗の世界に飛び込んでいるので、凄いなぁと読む前に思う。この本図書館に寄贈されてて何度も借りて読み返している。おもしろく読みやすい、文章は好みが分かれるかもしれない。東京から能登へ家族と移って暮らしの根がはっていき、やがて自分の作りたい器の世界を見つけていく。塗師になるまでの成長物語。


 

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by bookrium | 2008-02-13 01:45 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)