〈bookrium=book+aquarium〉本の海を回遊するブックリウムの、本と陶芸のある生活です。


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北杜夫『少年』

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写真は昭和50年に出た中公文庫の薄い一冊。北杜夫は初めて読みました。77頁しかない短い小説ですが、少年の目から見たおぼろげな世界を描いています。

〈ゆうぐれ、川原の土手の草のなかに、ぼんやり寝ころんでいた。見あげる空が突きぬけてひろかった。
 川水の音を聞きながら、ぼくは考えた。空のふかさについて。そのふかさにつもる時間について。時間のひとすみにうごめく人間について。〉


著者北杜夫と同じ、信州松本の旧制高等学校の寮に入った17歳の〈ぼく〉。周りと比べるとまだ幼く、子どもとも大人ともつかない自分のことを、彼はこう言っています。

〈毎日、居ても立ってもいられないもの寂しさ。生きて鼓動している自分のからだが、やりきれなく寂しいのだ。ふと皮膚をふるわす、もののゆらぎ。神経をそよがす、もののかげ。このむずがゆい変化はどこからくるのだろう。ぼくは大人になりつつあるのかな。〉


無垢な少年は自然の中でとりとめのない回想夢想を積み重ねる。自分の中に芽生えた新しい感覚のために一度〈自然〉から追放された少年は、たったひとりでアルプスへ行き、〈怪異な、激越な、地獄をおもわせる別世界〉のような濃霧の中で神秘的な体験をする…。


この小説は北杜夫が23の時に書かれました。最初の長編小説『幽霊』の終章に、『少年』の最後の所はもっと精密に描かれているそう。
阿部知二の『地図』が好きな人は、この小説も好きな気がします。


 

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# by bookrium | 2009-03-09 14:45 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)
啓蟄(けいちつ)……虫たちが冬眠から覚めてモゾモゾと出てくる時期。


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日高敏隆の『春の数えかた』は、寺田寅彦、中谷宇吉郎の随筆が好きな人は好きだろうと思います。
動物行動学者の著者が、さまざまな自然の変化について疑問を持ちます。


〈なぜ同じ種の植物は、みなきまった長さの花茎を伸ばして花をつけるのだろうか?〉
〈なぜ花たちは思い思いの高さに咲かないのだろう?〉
〈カタクリの花はどうしてギフチョウと同じ時期に咲くのだろう?〉
〈昆虫たちはいつから、どうして、花を訪れるようになったのか?〉
〈虫たちはなぜ光に集まるのか?〉
〈カマキリはどうやって来たるべき雪の深さを予知できるのであろうか?〉
〈自然が果てしない競争と闘いの場であるなら、「自然にやさしく」というとき、いったいそのどれにやさしくしたらよいのだろう? どれかにやさしくすれば、その相手には冷たくしていることになる。〉
〈しかしハスは、どうやって季節を知るのだろう?〉
〈ではペンギンは、ふつうに空を飛ぶ鳥と同じようにして水中を飛ぶのだろうか?〉



著者の目から見た自然は驚きや発見、さらなる疑問に満ちているよう。
こどものような素朴な疑問について、著者は幼い頃に春をさがしたことや学生の時に毎日小さなカイコの手術をして勉強したこと、真夜中に生物部の皆で虫の「夜間採集」をしたことなどを思い出しながら、思索をめぐらせます。ひとつ何かがわかっても、さらにわからないことが出てくる植物や動物の世界。

著者の人里への考え、利己的な自然の中で本来は存在しない自然との「調和」や「共生」への考えがなかなか興味深かったです。


〈人間は動物の一種であり、自分が生きて子孫を残していくことを目指して活動してきた。つまり、人間のやることには目標があり、その目標を立てかつ実現していくためのロジックがある。人間が田畑を切り開くのも、家や道路を作るのも、すべてこの人間のロジックによるものであった。
 人間がこのロジックを押し進めて自然に干渉する手を休めていると、そこには自然のロジックが押し返してくる。〉



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# by bookrium | 2009-03-05 19:39 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)

『youngtree press』

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写真はカメラマン若木信吾の企画したリトルマガジン『youngtree press』の2006年に出た5号。昨年10冊目で最終号を迎えました。今回ネットオークションで売れたので発送する前にパラパラ読み返してみたら、やっぱり良かった。

ここには4人の自ら撮った写真とその背景の自身や家族の物語が綴られています。淡々とした文章たち。作者はみな若いのに、こんなに上手なしずかな文章で自分の体験を書くことに驚く。

父が倒れて修道院にいる伯母を訪ねる、岡部桃の「シスター」。
耳が通常の半分くらいしか聞こえない幼い娘を心配して何度も検査をし、あだ名をつけてイヤリングのように補聴器をかける彼女を見つめる、松野みちかずの「オリポリ!」。
母と姉が出ていった広い家で暮らす父の元へ正月帰省し、初詣や夕飯の買い物をし、温泉で一緒に風呂に入り、また東京へ戻る〈僕〉に車の中から手を振る父を描く、市川貴浩の「親子二人」。
アメリカのサンフランシスコで出会ったホームレス、3ドルで撮らせてもらった彼の写真と、路上生活を始めてから11年間休むことなく詩を書き続けてきた彼の言葉、ノートいっぱいに書きなぐられたおびただしい言葉に触れる、森健人の「リッキー」。

どれもが、ささやかだけど生きている物語でした。
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# by bookrium | 2009-03-04 11:42 | 好きな本 | Trackback | Comments(0)
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『ムーミン谷の冬』に出てくる食べもの

にがいローガンベリーのシロップ
かさかさになったビスケット
らいむぎのパン
ななかまどの実
ジャムの倉庫
おさかなのスープ
いちごジャムのつぼ
こけもものジャム
あたたかいジュース
 〈あたたかいジュースのコップが、空中をすべってきました。〉
…本文より

さとうしょうがと、しなびたレモンをまぜて、よくきくかぜぐすり
(それにみじかいおまじないをむにゃむにゃとなえる、ムーミンママがおばあさんに教えてもらった裏技)


『ku:nel vol.23』では、「ムーミンのひみつ。」と題して、少女のころ灯台守になりたかったトーベ·ヤンソンが夏を過ごした島を訪れています。ゆっくり一周しても10分しかかからないクルーヴ島、ここでトーベ·ヤンソンは親友のトゥーティッキと夏を過ごしました。51から77歳まで。

図書館で借りた『ムーミン谷の冬』は昭和43年の初版。このころトーベは54歳。島で過ごす彼女のことを、訳者の山室静はこんなふうに書いています。

〈ヤンソンさんが、ヘルシンキの市内にもっている大きなアトリエは、彼女の画室であるだけでなく、よく友だちが集まってパーティーを開いたり、ときにはしばいをやったりして、まるで芸術家のクラブのようになっているそうです。また彼女は、フィンランド湾に小さい島を一つもっていて、そこに彼女の童話に出てくるムーミン屋敷そっくりの別荘をたて、夏にはそこでたったひとりでくらして、もっぱら童話を書くのだそうです。ついでにいうと、ヤンソンさんはまだ独身なのですが、そんなにして島でたったひとりでくらしていても、ムーミンたちがいつも遊びにくるので、すこしもさびしくないとか。うらやましい人だと思いませんか。〉

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# by bookrium | 2009-02-21 18:41 | 本のまわりで | Trackback | Comments(0)
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雨水(うすい)……雪溶けて雨水ぬるむ。もう雪は降りません、降るなら雨です、という時期。


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〈フィンランドの、冬は雪にうずまる谷間に、ムーミンという気のいい動物たちが住んでいます。〉
と訳者の山室静が冒頭で語る『ムーミン谷の冬』。
ある年の冬、目が覚めてしまったムーミントロールは、はじめて冬の世界とそこで暮らす人たちに出会います。

ムーミン家の水あび小屋に勝手に住んでいる、りこうぶったおしゃまさん、冒険心にとむちびのミイ、ふさふさしたしっぽがじまんの子りす、トロールのご先祖様、自分が狼の仲間だと思っているひとりぼっちの犬めそめそ、スキーが好きな陽気なヘムル、はいむしの小さなサロメちゃん…。

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おしゃまさんは作者トーベ・ヤンソンの友人をモデルにしているそうですが、すてきな人です。
しずかな青い目をもち、自分でつくった歌をかわいい声で口笛で吹き、赤と白のセーターを着て、春のにおいがしたらポンポンのついた赤いぼうしをいじくる。内側はうすい青色。そして春がやってきてみんなが目をさます時に、手まわしオルガンを回して谷間の奥まで起こしに行く。

おしゃま語録
「(ムーミンに対して)あんたになんかにゃ、わかりっこないわ。」
「ものごとってものは、みんな、とてもあいまいなのよ。まさにそのことが、わたしを安心させるんだけれどもね。」
「雪って、つめたいと思うでしょ。だけど、雪小屋をこしらえて住むと、ずいぶんあったかいのよ。雪って、白いと思うでしょ。ところが、ときにはピンク色に見えるし、また青い色になるときもあるわ。どんなものよりやわらかいかと思うと、石よりもかたくなるしさ。なにもかも、たしかじゃないのね。」
「この世界には、夏や秋や春にはくらす場所をもたないものが、いろいろといるのよ。みんなとても内気で、すこしかわりものなの。ある種の夜のけものとか、ほかの人たちとはうまくつきあっていけない人とか、だれもそんなものがいるなんて、思いもしないいきものとかね。」
「ものごとというものは、なんでも、たのしいほうに考えるものよ。」
「どんなことでも、じぶんで見つけださなきゃいけないものよ。そうして、じぶんひとりで、それをのりこえるんだわ。」



ちびのミイもかっこいい。
「あたし、もしかなしいとしたって、なにもそれを黒いリボンであらわす必要はないわ。」
〈かの女はいつでも、じぶんひとりでたのしむことを知っていました。じぶんがなにを考えようと、春がどんなにすきであろうと、そのことを人に話す必要は、すこしも感じなかったのです。〉


ムーミンが少しずつ雪のことを知ってゆくのが好きです。
〈じぶんのあたたかい鼻の上に、つぎつぎに雪がのっかってはとけていきます。かれは、それを手でつかまえて、しばらくのあいだ、うっとりと見とれました。それから空を見あげて、それがかぞえきれないほどたくさん、わた毛よりもやわらかく、ふわりふわりと、落ちてくるのをながめていました。
「雪って、こういうふうにふってくるのか。ぼくは、下からはえてくるんだと思っていたけどなあ。」〉


ムーミンは寒さに震えてやってきた生き物たちを家に迎え入れたり、ご先祖さまをそっとたいせつにします。陽気なヘムルが嫌になっておさびし山をすすめて体よく追い出そうとするけど、ついあそこはスキーに向かないよと言ってしまうムーミン。スナフキンもそんな気のいいやつがいるので谷に帰って来るのでしょう。
10月に南へでかけたスナフキンの春の手紙。

《チェーリオ。
 よくねむって、元気をなくさないこと。
 あたたかい春になったら、そのさいしょの日に、ぼくはまたやってくるよ。
 ぼくがこないうちは、ダムづくりをはじめないでね。》


太陽がやっと帰ってきて、ムーミン谷に光がふりそそぎ、パパたちは目を覚まし、おしゃまさんは手まわしオルガンを鳴らす――スナフキンが帰ってくるのには、もってこいの日。
クロッカスの芽を見つけ、寒くなっても大丈夫なようにガラスをおいてあげましょう、と言うスノークのおじょうさんに、冬を知ったムーミンは話します。このくだりは大好きです。

〈「じぶんの力で、のびさせてやるのがいいんだよ。この芽も、すこしはくるしいことにあうほうが、しっかりすると、ぼくは思うな。」
 こう、ムーミントロールはいいましたが、そのとききゅうに、とてもうれしくなって、なんだか、ひとりになりたくなりました。そこでかれは、ぶらっとたきぎ小屋の方へいきました。
 だれにも見えないところまでくると、かれはかけだしました。お日さまを背にうけて、雪どけのぬかるみを、走りに走りました。幸福でいっぱいになって、なんにも考えずに、走ったのです。〉


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# by bookrium | 2009-02-18 21:24 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)
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写真は南陀楼綾繁さん編集の〈けものみち文庫〉の2巻。あうん堂で購入した1冊。1巻の書評集『積んでは崩し』と同じ版型。こういうふうに同じ版型で内容は次々バラエティに富んでいるのも楽しいですね。2冊とも心くすぐるタイトルだし。次は何を繰り出してくるだろう?という楽しさがあります。

この本の著者は南陀楼綾繁+積ん読フレンズ。表紙は『ブンブン堂のグレちゃん』のグレゴリ青山さん(中に「妖怪つんでくれ」の解説イラストも!秀逸でした)。
書物系ブログの読者にとって豪華な積ん読フレンズの面々…カラー口絵の写真にときめく。

第一部は南陀楼さんの〈「本の山」回想録 まぼろしの書斎を求めて〉。家に祖母の小さな本棚しかなかった出雲の少年が、あれよあれよと本の虫になって東京で暮らす様が凄い。中学高校の頃を振り返って、エロ本・エロマンガの隠し場所まで書いているのが面白かった。

第二部〈「本の山」と私〉。皆さん凄い山です。山の写真やイラストや文章から、それぞれの本との関わりが見えてきます。面白いです。作家が本棚を紹介しているのはよく見るけど、この本に文章と写真を寄せた人の多くは読書人であり、作家以外の本に関する仕事をしてる人が多い。
山本善行さんと古書須賀屋さんの写真を見て、この本の山の中で家族が食事をしていることに驚く(なんだかマンガ「金魚屋古書店」の中で、マンガの山に囲まれて育ったためにマンガが大っ嫌いな、出版社社長になってもマンガを絶対に出版させない、主人公菜月の父を思い出しました。あとマンガを好きな男には娘をやらない)。
退屈男さんの万年床の部屋に松本零士のマンガを思い出す(時々ブログを読んでいて、こんなに日々本買って凄いなぁ…と思っていた)。
能町みね子さん(女性誌「Soup」での連載を一度読んで面白かった記憶が)の文章も読めてうれしかった。
一番理に叶った本の山(段ボールか)が、編集者塩山芳明さんの。回転率も高いと思う。

第三部は〈アンケート我が家の「本の山」〉。このアンケートは南陀楼さんのお知り合いや一箱古本市の出品者などに出されたよう。20代から60代まで幅広い回答。生活感があって楽しい。書店員のSさんという方の文章と写真がかわいらしかった。ベッド脇に積み重ねられた本やマンガのそばに、チェコのほのぼのアニメクルテクに出てくる〈うさぎくん〉が「ドーゾ」というかんじでベッド端に立っている。かわいい(このうさぎは鮫に喰われたり、彼女が出産したりする。前歯がチャームポイントか)。


次のけものみち文庫は今年の夏に刊行予定だそう。どんなテーマか楽しみですね。
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# by bookrium | 2009-02-17 10:24 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)
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晶文社から2008年4月に出た本。読みたいなと気になっていた本です。中日新聞サンデー版に掲載された、宇野亜喜良さんによる扉野さんのお父さんとの長い関わりや、この本の完成を祝福していた文章、あとがきにある名前<トビラノラビット>という響きを楽しく気に入ってる様子が印象的でした。

本は5章に分かれ、そのどれもが、今ではあまり読まれなくなったであろう本を、ひとりコツコツと訪ね歩いているような文章です。作家の足跡を訪ねる最後の章が特に好きです。

まずはじめに「能登へ――加能作次郎」を開く。冒頭に引用された、左手の親指を曲げて能登半島を作り自分の故郷を説明する、作次郎の文章。その仕草は子どもの時に自分もしたことがあるので、なんだかひどく、懐かしかった。作次郎は曲げた親指の節、富来町(現志賀町)の漁村の生まれ。著者は作次郎の小説に惹かれ、京都から能登の生家まで訪ねていきます。
加能作次郎は石川近代文学全集の第5巻に入っている(藤沢清造·戸部新十郎も)けど、読んだことはない。本に紹介された、13才で能登を離れて京都に向かう作次郎が、漁舟で海に出て故郷の遠い家並を見、自分の中の我が家や父の様子を間近で見つめるような文章は凄かった(「世の中へ」)。

表紙は澁澤龍彦が日本に紹介したイタリアのボマルツォ庭園の写真。著者は実際にボマルツォまで旅をして、本になぞらえてどんぐりを2個拾う。帯にある〈記憶のお土産〉。

井上靖も携わった「きりん」のことや「寺島珠雄」、未知の人々を知られてよかったです。

巻末の初出一覧を見ると、「辻潤と浅草」が1994年発表で一番古いことに驚く。著者は1971年生まれなので、当時23才位。驚く。


この本の編集をした、中川六平さんのブログ「泥鰌のつぶやき」を時折読みます。家にある晶文社の数冊の本が、この方が編集したことを知りました。
昨年の5月、山口昌男氏の自宅を石神井書林さんと訪ねるくだり、石神井書林さんがショルダーバッグから『ボマルツォのどんぐり』を取り出して、

〈「六さん、サインしてよ」
 「えー、オレでいいの」
 「いいよ」〉


という珍妙なやりとりが好き(その後もいい)。

つい最近2/11では、吉田修一の『悪人』を読んでの目線にぞわぞわしました(吉田修一はデビュー作『最後の息子』しか読んでないけど、西田俊也のコバルトデビュー作『恋はセサミ』が自分の中で被る。オカマの閻魔ちゃんと僕、オカマのリラと男子高校生ユキノ。どちらも空回ったりしてせつない)。
感想の中に、印象的な文がありました。

〈40歳、ですか。がんばってください。
 40歳以下の方々、もです。表面を突き破ってください。小さな説にひたらないでください。それだけに、どこかに、とんでもない書き手がいるのでは。そうも思うのでした。〉


もう世に出てるけど、扉野さんは、〈とんでもない書き手〉に含まれるのだろうなと思いました。

先日、扉野さんは郡淳一郎さんと『Donogo-o-Tonka』創刊準備号を出したそう。気になります。



 

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# by bookrium | 2009-02-13 11:26 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)

室生犀星と詩

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〈雪がふると子守唄がきこえる
 これは永い間のわたしのならはしだ。
 窓から戸口から
 空から
 子もりうたがきこえる。
 だがわたしは子もりうたを聞いたことがない
 母といふものを子供のときにしらないわたしに
 さういふ唄の記憶があらうとは思へない。
 だが不思議に
 雪のふる日は聴える
 どこできいたこともない唄がきこえる。〉
(子守唄)


写真は新潮文庫、福永武彦編『室生犀星詩集』。24冊の詩集の中から、年若い読者を想定して福永武彦が187編を選んでいるためか、この本に入っている詩はみな読みやすいです。けれどやさしい詩ではない。

生後間もなく、加賀藩の足軽組頭をつとめた父と女中の母から離され、犀川ほとりの雨宝院の住職の内縁の妻の子として届けられた照道こと犀星。9才の時に実父が死に、実母も行方不明になる。高等小学校を3年で中退し、13才で金沢地方裁判所の給仕として働き始め、そこで上役から俳句を学び詩作も始める。ほぼ独学ではじめた詩を生涯続け、〈からだぢゆうが悲しいのだ。〉と74才で亡くなる1週間前まで、遺作の「老いたるえびのうた」に書き残した。

〈ゆきふるといひしばかりの人しづか
〉という犀星の句が好きだけど、幾つの時に詠んだのか知らない。

気に入った詩はいろいろあって、〈私のゆく道は万人のこない道だけれど/自分によくにた宿命を負つた人の来る道だ〉という「まだ知らない友」もいいなと思う詩。

父や金沢という故郷を失い、東京での家庭が〈深い愛すべき根〉をはって〈私〉を抱きしめる「第二の故郷」。

他にもいいなと思うのは、「はる」「春から夏に感じること」「永遠にやつて来ない女性」「女人に対する言葉」「人」…〈日本のゆふぐれは柔らかい〉という「日本のゆふぐれ」「紙」「誰かをさがすために」「あさきよめ」「初めて「カラマゾフ兄弟」を読んだ晩のこと」などなど多数。

故郷のことを、〈うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても/帰るところにあるまじや〉とまで言っても、犀星の詩は金沢の時雨や山や川、ちいさな生き物へ目をやる。雪の詩も多かった。


〈その赤ん坊を見たまへ
 棄てられし赤ん坊を見たまへ
 赤ん坊の赤き肌を見たまへ
 遂に死なざりし赤ん坊を見たまへ
 遂に生き抜きし赤ん坊を見たまへ
 赤ん坊のまなこを見たまへ〉
(赤ん坊)



 
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# by bookrium | 2009-02-12 16:29 | 北陸の作家 | Trackback | Comments(0)