〈bookrium=book+aquarium〉本の海を回遊するブックリウムの、本と陶芸のある生活です。


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雨水(うすい)……雪溶けて雨水ぬるむ。もう雪は降りません、降るなら雨です、という時期。


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〈フィンランドの、冬は雪にうずまる谷間に、ムーミンという気のいい動物たちが住んでいます。〉
と訳者の山室静が冒頭で語る『ムーミン谷の冬』。
ある年の冬、目が覚めてしまったムーミントロールは、はじめて冬の世界とそこで暮らす人たちに出会います。

ムーミン家の水あび小屋に勝手に住んでいる、りこうぶったおしゃまさん、冒険心にとむちびのミイ、ふさふさしたしっぽがじまんの子りす、トロールのご先祖様、自分が狼の仲間だと思っているひとりぼっちの犬めそめそ、スキーが好きな陽気なヘムル、はいむしの小さなサロメちゃん…。

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おしゃまさんは作者トーベ・ヤンソンの友人をモデルにしているそうですが、すてきな人です。
しずかな青い目をもち、自分でつくった歌をかわいい声で口笛で吹き、赤と白のセーターを着て、春のにおいがしたらポンポンのついた赤いぼうしをいじくる。内側はうすい青色。そして春がやってきてみんなが目をさます時に、手まわしオルガンを回して谷間の奥まで起こしに行く。

おしゃま語録
「(ムーミンに対して)あんたになんかにゃ、わかりっこないわ。」
「ものごとってものは、みんな、とてもあいまいなのよ。まさにそのことが、わたしを安心させるんだけれどもね。」
「雪って、つめたいと思うでしょ。だけど、雪小屋をこしらえて住むと、ずいぶんあったかいのよ。雪って、白いと思うでしょ。ところが、ときにはピンク色に見えるし、また青い色になるときもあるわ。どんなものよりやわらかいかと思うと、石よりもかたくなるしさ。なにもかも、たしかじゃないのね。」
「この世界には、夏や秋や春にはくらす場所をもたないものが、いろいろといるのよ。みんなとても内気で、すこしかわりものなの。ある種の夜のけものとか、ほかの人たちとはうまくつきあっていけない人とか、だれもそんなものがいるなんて、思いもしないいきものとかね。」
「ものごとというものは、なんでも、たのしいほうに考えるものよ。」
「どんなことでも、じぶんで見つけださなきゃいけないものよ。そうして、じぶんひとりで、それをのりこえるんだわ。」



ちびのミイもかっこいい。
「あたし、もしかなしいとしたって、なにもそれを黒いリボンであらわす必要はないわ。」
〈かの女はいつでも、じぶんひとりでたのしむことを知っていました。じぶんがなにを考えようと、春がどんなにすきであろうと、そのことを人に話す必要は、すこしも感じなかったのです。〉


ムーミンが少しずつ雪のことを知ってゆくのが好きです。
〈じぶんのあたたかい鼻の上に、つぎつぎに雪がのっかってはとけていきます。かれは、それを手でつかまえて、しばらくのあいだ、うっとりと見とれました。それから空を見あげて、それがかぞえきれないほどたくさん、わた毛よりもやわらかく、ふわりふわりと、落ちてくるのをながめていました。
「雪って、こういうふうにふってくるのか。ぼくは、下からはえてくるんだと思っていたけどなあ。」〉


ムーミンは寒さに震えてやってきた生き物たちを家に迎え入れたり、ご先祖さまをそっとたいせつにします。陽気なヘムルが嫌になっておさびし山をすすめて体よく追い出そうとするけど、ついあそこはスキーに向かないよと言ってしまうムーミン。スナフキンもそんな気のいいやつがいるので谷に帰って来るのでしょう。
10月に南へでかけたスナフキンの春の手紙。

《チェーリオ。
 よくねむって、元気をなくさないこと。
 あたたかい春になったら、そのさいしょの日に、ぼくはまたやってくるよ。
 ぼくがこないうちは、ダムづくりをはじめないでね。》


太陽がやっと帰ってきて、ムーミン谷に光がふりそそぎ、パパたちは目を覚まし、おしゃまさんは手まわしオルガンを鳴らす――スナフキンが帰ってくるのには、もってこいの日。
クロッカスの芽を見つけ、寒くなっても大丈夫なようにガラスをおいてあげましょう、と言うスノークのおじょうさんに、冬を知ったムーミンは話します。このくだりは大好きです。

〈「じぶんの力で、のびさせてやるのがいいんだよ。この芽も、すこしはくるしいことにあうほうが、しっかりすると、ぼくは思うな。」
 こう、ムーミントロールはいいましたが、そのとききゅうに、とてもうれしくなって、なんだか、ひとりになりたくなりました。そこでかれは、ぶらっとたきぎ小屋の方へいきました。
 だれにも見えないところまでくると、かれはかけだしました。お日さまを背にうけて、雪どけのぬかるみを、走りに走りました。幸福でいっぱいになって、なんにも考えずに、走ったのです。〉


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# by bookrium | 2009-02-18 21:24 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)
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写真は南陀楼綾繁さん編集の〈けものみち文庫〉の2巻。あうん堂で購入した1冊。1巻の書評集『積んでは崩し』と同じ版型。こういうふうに同じ版型で内容は次々バラエティに富んでいるのも楽しいですね。2冊とも心くすぐるタイトルだし。次は何を繰り出してくるだろう?という楽しさがあります。

この本の著者は南陀楼綾繁+積ん読フレンズ。表紙は『ブンブン堂のグレちゃん』のグレゴリ青山さん(中に「妖怪つんでくれ」の解説イラストも!秀逸でした)。
書物系ブログの読者にとって豪華な積ん読フレンズの面々…カラー口絵の写真にときめく。

第一部は南陀楼さんの〈「本の山」回想録 まぼろしの書斎を求めて〉。家に祖母の小さな本棚しかなかった出雲の少年が、あれよあれよと本の虫になって東京で暮らす様が凄い。中学高校の頃を振り返って、エロ本・エロマンガの隠し場所まで書いているのが面白かった。

第二部〈「本の山」と私〉。皆さん凄い山です。山の写真やイラストや文章から、それぞれの本との関わりが見えてきます。面白いです。作家が本棚を紹介しているのはよく見るけど、この本に文章と写真を寄せた人の多くは読書人であり、作家以外の本に関する仕事をしてる人が多い。
山本善行さんと古書須賀屋さんの写真を見て、この本の山の中で家族が食事をしていることに驚く(なんだかマンガ「金魚屋古書店」の中で、マンガの山に囲まれて育ったためにマンガが大っ嫌いな、出版社社長になってもマンガを絶対に出版させない、主人公菜月の父を思い出しました。あとマンガを好きな男には娘をやらない)。
退屈男さんの万年床の部屋に松本零士のマンガを思い出す(時々ブログを読んでいて、こんなに日々本買って凄いなぁ…と思っていた)。
能町みね子さん(女性誌「Soup」での連載を一度読んで面白かった記憶が)の文章も読めてうれしかった。
一番理に叶った本の山(段ボールか)が、編集者塩山芳明さんの。回転率も高いと思う。

第三部は〈アンケート我が家の「本の山」〉。このアンケートは南陀楼さんのお知り合いや一箱古本市の出品者などに出されたよう。20代から60代まで幅広い回答。生活感があって楽しい。書店員のSさんという方の文章と写真がかわいらしかった。ベッド脇に積み重ねられた本やマンガのそばに、チェコのほのぼのアニメクルテクに出てくる〈うさぎくん〉が「ドーゾ」というかんじでベッド端に立っている。かわいい(このうさぎは鮫に喰われたり、彼女が出産したりする。前歯がチャームポイントか)。


次のけものみち文庫は今年の夏に刊行予定だそう。どんなテーマか楽しみですね。
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# by bookrium | 2009-02-17 10:24 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)
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晶文社から2008年4月に出た本。読みたいなと気になっていた本です。中日新聞サンデー版に掲載された、宇野亜喜良さんによる扉野さんのお父さんとの長い関わりや、この本の完成を祝福していた文章、あとがきにある名前<トビラノラビット>という響きを楽しく気に入ってる様子が印象的でした。

本は5章に分かれ、そのどれもが、今ではあまり読まれなくなったであろう本を、ひとりコツコツと訪ね歩いているような文章です。作家の足跡を訪ねる最後の章が特に好きです。

まずはじめに「能登へ――加能作次郎」を開く。冒頭に引用された、左手の親指を曲げて能登半島を作り自分の故郷を説明する、作次郎の文章。その仕草は子どもの時に自分もしたことがあるので、なんだかひどく、懐かしかった。作次郎は曲げた親指の節、富来町(現志賀町)の漁村の生まれ。著者は作次郎の小説に惹かれ、京都から能登の生家まで訪ねていきます。
加能作次郎は石川近代文学全集の第5巻に入っている(藤沢清造·戸部新十郎も)けど、読んだことはない。本に紹介された、13才で能登を離れて京都に向かう作次郎が、漁舟で海に出て故郷の遠い家並を見、自分の中の我が家や父の様子を間近で見つめるような文章は凄かった(「世の中へ」)。

表紙は澁澤龍彦が日本に紹介したイタリアのボマルツォ庭園の写真。著者は実際にボマルツォまで旅をして、本になぞらえてどんぐりを2個拾う。帯にある〈記憶のお土産〉。

井上靖も携わった「きりん」のことや「寺島珠雄」、未知の人々を知られてよかったです。

巻末の初出一覧を見ると、「辻潤と浅草」が1994年発表で一番古いことに驚く。著者は1971年生まれなので、当時23才位。驚く。


この本の編集をした、中川六平さんのブログ「泥鰌のつぶやき」を時折読みます。家にある晶文社の数冊の本が、この方が編集したことを知りました。
昨年の5月、山口昌男氏の自宅を石神井書林さんと訪ねるくだり、石神井書林さんがショルダーバッグから『ボマルツォのどんぐり』を取り出して、

〈「六さん、サインしてよ」
 「えー、オレでいいの」
 「いいよ」〉


という珍妙なやりとりが好き(その後もいい)。

つい最近2/11では、吉田修一の『悪人』を読んでの目線にぞわぞわしました(吉田修一はデビュー作『最後の息子』しか読んでないけど、西田俊也のコバルトデビュー作『恋はセサミ』が自分の中で被る。オカマの閻魔ちゃんと僕、オカマのリラと男子高校生ユキノ。どちらも空回ったりしてせつない)。
感想の中に、印象的な文がありました。

〈40歳、ですか。がんばってください。
 40歳以下の方々、もです。表面を突き破ってください。小さな説にひたらないでください。それだけに、どこかに、とんでもない書き手がいるのでは。そうも思うのでした。〉


もう世に出てるけど、扉野さんは、〈とんでもない書き手〉に含まれるのだろうなと思いました。

先日、扉野さんは郡淳一郎さんと『Donogo-o-Tonka』創刊準備号を出したそう。気になります。



 

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# by bookrium | 2009-02-13 11:26 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)

室生犀星と詩

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〈雪がふると子守唄がきこえる
 これは永い間のわたしのならはしだ。
 窓から戸口から
 空から
 子もりうたがきこえる。
 だがわたしは子もりうたを聞いたことがない
 母といふものを子供のときにしらないわたしに
 さういふ唄の記憶があらうとは思へない。
 だが不思議に
 雪のふる日は聴える
 どこできいたこともない唄がきこえる。〉
(子守唄)


写真は新潮文庫、福永武彦編『室生犀星詩集』。24冊の詩集の中から、年若い読者を想定して福永武彦が187編を選んでいるためか、この本に入っている詩はみな読みやすいです。けれどやさしい詩ではない。

生後間もなく、加賀藩の足軽組頭をつとめた父と女中の母から離され、犀川ほとりの雨宝院の住職の内縁の妻の子として届けられた照道こと犀星。9才の時に実父が死に、実母も行方不明になる。高等小学校を3年で中退し、13才で金沢地方裁判所の給仕として働き始め、そこで上役から俳句を学び詩作も始める。ほぼ独学ではじめた詩を生涯続け、〈からだぢゆうが悲しいのだ。〉と74才で亡くなる1週間前まで、遺作の「老いたるえびのうた」に書き残した。

〈ゆきふるといひしばかりの人しづか
〉という犀星の句が好きだけど、幾つの時に詠んだのか知らない。

気に入った詩はいろいろあって、〈私のゆく道は万人のこない道だけれど/自分によくにた宿命を負つた人の来る道だ〉という「まだ知らない友」もいいなと思う詩。

父や金沢という故郷を失い、東京での家庭が〈深い愛すべき根〉をはって〈私〉を抱きしめる「第二の故郷」。

他にもいいなと思うのは、「はる」「春から夏に感じること」「永遠にやつて来ない女性」「女人に対する言葉」「人」…〈日本のゆふぐれは柔らかい〉という「日本のゆふぐれ」「紙」「誰かをさがすために」「あさきよめ」「初めて「カラマゾフ兄弟」を読んだ晩のこと」などなど多数。

故郷のことを、〈うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても/帰るところにあるまじや〉とまで言っても、犀星の詩は金沢の時雨や山や川、ちいさな生き物へ目をやる。雪の詩も多かった。


〈その赤ん坊を見たまへ
 棄てられし赤ん坊を見たまへ
 赤ん坊の赤き肌を見たまへ
 遂に死なざりし赤ん坊を見たまへ
 遂に生き抜きし赤ん坊を見たまへ
 赤ん坊のまなこを見たまへ〉
(赤ん坊)



 
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# by bookrium | 2009-02-12 16:29 | 北陸の作家 | Trackback | Comments(0)
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この詩集は2006年に私家版として発行されました。2007年秋の「暮しの手帖 30号」の中の、編集長松浦弥太郎さんのエッセイ「こんにちはさようなら」で、その詩が取り上げられています。


〈味噌汁をおいしくするコツは
 おたまにひとすくい
 夕焼けをいれること〉



そう言って始まる「味噌汁」。作者の大野直子さんは金沢育ちの主婦の方だそうです。
〈うれしいことがあったので/ふきを買いました〉と始まる「ふき」も好きな詩。
表題になった〈寡黙な家〉という言葉の入った散文詩「秋」はひんやりしている。

この詩集は自費出版で、制作は龜鳴屋さんです。奥付には《な》というかわいい検印が貼ってあります。装丁は『ぜんまい屋の葉書』の金田理恵さん。題に合った表紙。
2007年の秋頃、前述の「暮しの手帖」をこのブログで取り上げた後、龜鳴屋さんから、松浦さんのファンならよかったらどうぞ、と1冊いただきました。うれしいことでした。
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# by bookrium | 2009-02-05 22:41 | 好きな本 | Trackback | Comments(2)

井上靖と「雪」

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〈 ――雪が降って来た。
  ――鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。十何年も昔のこと、「キリン」という童詩雑誌でみつけた詩だ。雪が降って来ると、私はいつもこの詩のことを思い出す。ああ、いま、小学校の教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。勤勉、真摯、調和、そんなものともどこかで関係を持っている。〉



新潮文庫『井上靖全詩集』に入っている「雪」。高校生の時に岡井隆さんが紹介しているのを読んで以来、冬が来ると思い出します。
谷内六郎の描く子どもたちが、教室で白いノートの字が濃くなる様子がいつも浮かびます。

「キリン」は井上靖が出版編集に情熱を傾けた雑誌。

文庫の最後に収録されている、最初の詩集『北国』のあとがきに書かれた言葉が印象深いです。


〈私は自分の詩の何篇かがもう一度活字になる運命を持ったことに驚いた。(中略)詩人の多くがそうであるように、私もまた自分自身と、少数の自分を理解してくれるかも知れない人のためにだけ書いて来たのである。〉


〈私はこんど改めてノートを読み返してみて、自分の作品が詩というより、詩を逃げないように閉じ込めてある小さい箱のような気がした。〉



中学2年の時に友人に見せてもらった、たった3行の詩、その出会いから、井上靖は小説家になるまでなってからも、70代になっても詩作を続けています。数は多くなく、ほとんどが散文詩のそれらは、雪溶け水のような清冽な印象を残しました。



 
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# by bookrium | 2009-02-04 21:39 | 北陸の作家 | Trackback | Comments(0)

立春――『万葉集』

〈新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け 吉事(よごと)〉

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今から1250年前の759年(天平宝字3年)、因幡国国府で正月と立春が重なった年の始まりに、大伴家持が詠んだ歌。全20巻4500首以上を収録した日本最古の歌集、万葉集の最後は、この願いの歌が飾ります。

写真は雪の代わりの純白の菊。
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# by bookrium | 2009-02-04 14:24 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)
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梨木香歩の新潮文庫『家守綺譚』と角川文庫『村田エフェンディ滞土録』。登場人物がリンクしていますが、別々の独立した物語です。どちらから読んでも大丈夫ですが、「家守」「村田」の順で読んだら感慨深いものがありました。もう少し彼らの世界は読んでみたいけど、もう一作出ないだろうな(追記…『yomyom』で書いてた)。想像する余白の多い文章だと思う。


『家守綺譚』
明治の日本、湖と山に近い、庭池電燈二階付きの一軒家を、ボートでひとり湖に出て亡くなった学友「高堂」の代わりに世話することになった「私」こと文士の綿貫征四郎。
死んだはずの高堂は床の間の掛軸の絵の中から、ボートを漕いでちょくちょくこちらへやってくる。

〈――なに、雨に紛れて漕いできたのだ。〉


こともなげに言い、庭のサルスベリに綿貫が惚れられてることを忠告して去っていく(サルスベリの気持ちに思い当たることがないでもない綿貫…何があった?)。
死んだ高堂が現れることも、河童を助ける犬にも、狸に騙されても、白木蓮がタツノオトシゴを孕んでも、土耳古へ留学中の村田にちなんで土耳古と呼んでいる庭の砂山に聖母が浮かび上がっても……自分には分からないものたちを受け容れる綿貫。どこかおおらかな居心地の良さ。四季の28の植物の名にちなんだ短い話が重なって、ゆるやかな時間が終わるのを名残惜しいと思う。

綿貫が「ダァリヤの君」とひそかに呼んでいる少女の登場する話を特にきれいだと思った。
死んでしまった幼なじみが嫁入り行列の船に乗って川上へ遡って消えてゆくのを、その名を叫びながら白いサザンカを投げて贈る少女。見ていた綿貫に振り向いて「ダァリヤの君」は言う。

〈――かわいそうだと思わないでください。佐保ちゃんは、春の女神になって還ってくるのだから。〉


雪の駅舎でしばらく来るはずのない汽車を待つ「ダァリヤ」と綿貫はゲーテの詩を諳じる。《――彼方へ 君と共に行かまし》 入ってきた汽車に、「ダァリヤ」の会いたい人は乗っていなかった。「ダァリヤ」は湖の底でみんなが生きていると言うけど本当だろうか、本当に思えないと綿貫に同意を求める。

〈私は仕方なく、
 ――本当よりも本当らしいじゃないですか。それが本当で、何か不都合がありますか。
と応えた。ダァリヤの頬が上気した。
 ――いえ! 何も!〉


つながった川と湖で、親しい者を亡くした同士のこのくだりは特に好き。

「葡萄」という話で物語は不意に幕引きされる。でもそれもこの不思議な物語らしい。綿貫は最初の「サルスベリ」の話と同じように、掛軸の向こうへ帰る高堂に呼びかける。

〈――また来るな?
 私は追いかけるように寝床から声を上げ、念を押した。
 ――また来るよ。
 その声はすでに遠く、微かに響いた。〉



巻末には物語の中で「私」綿貫征四郎が締切に追われていた随筆を収録。これは文庫だけらしい。単行本の表紙も渋くてすてき。


『村田エフェンディ滞土録』
1899年、土耳古の首都スタンブールに皇帝の招きで、考古学を学ぶべく日本からやってきた(土耳古で一般的な名前MURATに似ているからいう理由で選ばれた)村田。下宿の英国人ディクソン夫人、使用人のムハンマド、独逸人オットー、希臘人ディミィトリス、そして「友よ」「悪いものを喰っただろう」「いよいよ革命だ」等をがなりたてる鸚鵡。宗教や文化の違いがあっても、彼らは議論し、発掘に行き、馬で駆け、時に雪遊びをし、語り合い……、かけがえのない共通の時間を土耳古のこの下宿で過ごす。

自分は滅びたビザンツの末裔だと言うディミィトリスは、土耳古がかつてのビザンツと同じように退廃していくことを憂い、村田に日本の〈善き貧しさ〉を保つよう忠告する。

〈豊かな退廃など、私は今の日本に想像すら出来なかった。〉


下宿の村田の部屋では不思議な牡牛牡羊の角が現れたり、もらったお守りの稲荷の狐、黒犬のようなアヌビス神が像から抜け出て騒ぐが、下宿のみなはあまり動じない。
やがて土耳古の内情がきな臭くなってきた頃、突然村田に日本への帰国要請の手紙が……。土耳古での研究はまだ十分とは思わないが、村田は言う。

〈――十分、と思えるときは多分、一生来ないでしょう。しかしここで学べたことは私の一生の宝になるでしょう。〉


帰国してからの年月を追った最終章、第一次世界大戦に引き裂かれてゆく友たち、ディクソン夫人からの手紙。自分の元へやって来た衰えた鸚鵡に、村田は囁く。

〈――ディスケ·ガウデーレ〉


楽しむことを学べ。土耳古でそう教えてくれたのはこの鸚鵡だった。
あの土耳古の下宿での日々を思う、最後に綴られた村田の思いは胸に痛い。


〈……国とは、一体何なのだろう、と思う。 私は彼らに連なる者であり、彼らはまた、私に連なる者達であった。彼らは、全ての主義主張を越え、民族をも越え、なお、遥かに、かけがえのない友垣であった。〉



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# by bookrium | 2009-02-01 01:57 | 読んだ本 | Trackback | Comments(0)