〈bookrium=book+aquarium〉本の海を回遊するブックリウムの、本のある生活です。


by bookrium
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

<   2009年 10月 ( 6 )   > この月の画像一覧

十三夜

陰暦十三夜の月「十三夜様」は縁起の良い月とされ、拝むと成功するという。

十五夜だけでなく、十三夜も月見をするそうです。片方しか月見をしないのは縁起が悪いという地域もあるそう(いままで気にしたこともなかった)。
十六夜とか十三夜とか、完全よりわずかな欠けが昔の人は好きみたいですね。
後(のち)の月や二夜(ふたよ)の月とも、栗名月や豆名月とも、地方によっては女名月と呼ばれたそう。

十三夜関係ないけど、この句は好きです。

〈月かげのまんなかをもどる〉
種田山頭火
[PR]
by bookrium | 2009-10-30 23:12 | Trackback | Comments(0)
 
       〈私は何処に行くか
     
        瓦斯(ガス)が不足です

        風船の尾に私の名を書いた短冊をむすび

        私を昇天さしていたゞきませう

        私の生活は空の中に

        私の栄誉は炸裂すること

        私は私の名と共に

        この世に何も残したくはない。〉
『私に就いて』昭和3年

c0095492_13315368.jpg


すこし前まで徳田秋聲記念館で行われていた「島田清次郎展」。
いろいろ印象深かったです。いろいろ思うところあり、細かく感想を書く意欲なく。

前期ではたまたま行った日に、企画展示室で学芸員さんのギャラリートークも聞けました。
展示を見て胸をつまらせていた中年女性が印象に残ります。

清次郎は保養院でも冒頭のように詩(風船の登場が多い)や小説を書いていたのですが、自分の人生を振り返ったような未完の長編小説を残しています。『生活と運命 第一巻 母と子』という綴られた草稿がありました。本人の字ではなく、複写した厚い原稿の束。島田清次郎と母のつながりに興味があったので(母は清次郎の没後2年後位に亡くなっている)、これが現物か…と思った。どこかで内容を読めないのかなと思っていたので尋ねたら、学芸員さんに1983年の「昭和文学研究 6」の小林輝冶氏が島田清次郎の草稿を紹介したコピーをいただきました。うれしいことでした。

一番印象に残ったのは、保養院時代の清次郎の手紙です。
佐藤春夫、室生犀星、加能作次郎へ宛て。住所を書いて、切手も貼っていた。
便箋はすべて白紙だった。
清次郎が何を書きたかったかは誰にもわからないし、書けなかったのかもしれないし、ただ書く前に死んだのかもしれない。

名前を忘れたけど、編集者(?)の人からの葉書の最後に「地上のファンでした(意訳)」と書かれた部分だけグシャグシャに消してあったのも、印象に残りました。


展示は、島田清次郎がかつて本当に生きていたのだな、と思った。
父を知らない貧しい生活。その内の栄光は20歳からのほんの数年。25歳以降、地上に出ることも叶わず死んだ。清次郎が本当に病気だったのか、一時的なもので、回復し退院可能な状態だったとしたら、残した詩のあきらめの漂う明るい絶望感も伝わるのでは、と思います。
神童と言われた小学生の時に、本を抱えて凛々しい顔をして、母と撮った写真が好きでした。

c0095492_13315361.jpg


    〈われわれは彼から嗤はれる日が来ないとすれば、それでよし、

     われわれは彼から嗤はれる日が来ないとすれば幸ひである。

     但し、われわれを嗤ふ者は彼ではなく彼の様々な言葉である。

     彼は一度も嘗てわれわれが嗤ったごとく嗤ったことはなかった。〉


                  横光利一「文芸時代」大正14年

[PR]
by bookrium | 2009-10-28 01:32 | 北陸の作家 | Trackback | Comments(0)

霜降――『画の悲み』

霜降(そうこう)……朝夕の気温が下がり、霜が降りはじめる時期。秋の最後の節季。寒くなってきます。

c0095492_11543563.jpg

〈画を好かぬ小供は先ず少ないとして其中(そのうち)にも自分は小供の時、何よりも画が好きであった。(と岡本某が語りだした)。〉

c0095492_11543573.jpg

大学の講義用テキストとして制作された、解説のついた名作短篇集。木田隆文・田村修一・外村彰・橋本正志 編、龜鳴屋 発行の『ひたむきな人々―近代小説の情熱家たち―』。カバー画・扉挿画はグレゴリ青山(表紙は『清兵衛と瓢?』?、亀が本を読んでいる検印紙もかわいい)。ちいさな扉版画は高橋輝雄(すてきな。ちょこなん)。
c0095492_11543592.jpg

『画の悲(かなし)み』は国木田独歩(1871~1908)の小説。短い話。
画を書くことが好きな主人公。腕白で、画と数学なら誰にも負けないと自負していたが、皆は1級上の志村というおとなしい天才少年をあがめていた。高慢な自分の鼻柱をくじこうと、志村の画の出来が悪い時でも激賞されているのを見て、こどもながらに人気というものを憎む。
ある日、学校の展覧会に主人公は一生懸命写生した馬の画を出す。これまで自分が書いたものにも、志村が書いたものにも勝つ自信があった。ところが、志村の画は学校で教えないチョークで書かれたコロンブスの肖像だった。

〈画題といい色彩といい、自分のは要するに少年が書いた画、志村のは本物である。〉


主人公は学校から飛び出してしまう。そのまま家に帰らず、夢中で川原に行って、大声で泣いた。泣いて暴れるとすっきりして、そうだ自分もチョークで画を書いてみようという気になる。
河原で手始めに水車を描いていると、一人の少年が草の中に坐って頻りに水車を写生しているのを見つけた。志村だった。熱心に画を書く志村の姿に、主人公から彼への忌々しさも消えてしまう。
素直に志村と言葉を交わし、それから二人は急速に親しくなる。二人で画板を持ち、野山を写生し、故郷を離れ中学へ行っても、帰郷する時は一緒に写生しながら帰った。

〈寄宿舎の門を朝早く出て日の暮に家に着くまでの間、自分は此等の形、色、光、趣きを如何いう風に画いたら、自分の心を夢のように鎖ざして居る謎を解くことが出来るかと、それのみに心を奪られて歩いた。〉


志村も同じ心だった。二人で後になり先になり、思わず時が経ち、駆け足で帰った。
数年が経ち、志村は中学を辞めて故郷に帰り、主人公は東京へ行く。いつしか主人公は画を書くことを忘れて、志村のことも忘れてしまう。
ひさしぶりに故郷に帰った時、主人公は二十歳になっていた。物置の画板を見て志村を思い出し、人に消息を聞く。
志村は十七歳で亡くなっていた。

主人公はあの頃の画板を提げ、家を出る。故郷の風景は変わっていない。しかし自分はもう少年ではない。何を書いて見る気にもならない。
志村とよく写生に出た野のはてに出た。独りで。

〈闇にも歓びあり、光にも悲みあり麦藁帽の廂を傾けて、彼方の丘、此方の林を望めば、まじまじと照る日に輝いて眩ゆきばかりの景色。自分は思わず泣いた。〉


c0095492_11543522.jpg

c0095492_11543516.jpg

[PR]
by bookrium | 2009-10-23 11:54 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)
寒露(かんろ)……寒さで、草の露が冷たく感じるようになります。


〈一夏過ぐその変遷の風かみにするどくジャック・チボーたらむと〉
小池光

この句を知ったのは、久世光彦さんの『人恋しくて 余白の多い住所録』で、高校生の時だった。

〈何千枚の大作よりも、ある日出会った三十一文字の方が重いことがある。その日から、一生体にまとわりついて離れないことだってある。あるいは、たったそれだけのフレーズによって、人は一日を生きる。〉


c0095492_14424100.jpg


『黄色い本』は講談社から2002年に出た高野文子の漫画。
物語のはじまりで、高校3年生の田家実地子は雨のバスの中で本を読みふけり、バス酔いする。彼女の読んでいたのは、「LES THIBAULT」と表紙に書かれた〈黄色い本〉――『チボー家の人々』の1巻だった。
実地子は両親と弟、そして父親が入院中の幼い従妹と一緒に、ある雪深い地方の町に暮らしている。
図書室から借りたロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』は5巻まであって、実地子は、家でも、学校でも、家事を手伝っている時でも、ジャック・チボーという同い年の家出をした少年の物語が離れない。皆が寝ている夏の夜に読んだ、ジャックが級友と交わす1冊の秘密の灰色のノート。そこに書かれていた言葉。電気を消した真っ暗な部屋で、実地子は天井に両手を伸ばし、眼を覆った。暗闇の中で眼を開いた実地子に、その言葉がよみがえる。

《命をかけてきみのものなる――― J(ジャック)》


深夜にやっていた外国映画の俳優とジャックのイメージが実地子の中で重なり、第一次世界大戦前後のフランスに身を置く彼と、友達になれそうなくらい考え方が似ていると感じる。――《ほめられたらいかれ/よろこんだらはじろ》それは父親にほめられておどけた時にも浮かぶ。そんな実地子に父親は、〈おめが将来どこに勤めることになるだか 俺(おら)はわからねども/おめでねば編めねえようなセーターを編む人に/なればいいがなぁと/俺は/思うんだ〉と言った。〈創造性のある?〉と実地子が真剣な顔をすると、父親は〈おう〉と笑う。それを見た実地子は〈そうだね〉とやさしくほほえむ。このくだりが好き。

家族を大切にする父親を見ながら、〈自分の好きな人を/大切にすることは/それ以外の人には/冷たくすることに/なるんで/ねえの/ねえ/トーチャン〉と心の中で問いかけながら、部屋の電気を点ける。不意に、テーブルに人形を寝かせたちいさな従妹が、〈実ッコちゃん〉と呼びかける。〈電気つけると/暗いねえ〉〈ええ?/明れえよう 電気は〉〈電気つけると夜んなったねえ〉〈ああ/夜んなったねえ/外は〉

実地子は生活の中で、常に対話しながら、考えながら本を読む。《自分の 行動と 思想 それは つねに共でなくてはならないんだ!》バスでおばあさんに席を譲った時も。しかしそれが幸福なのか?と考えた時、風邪をひくと母親に本を取り上げられる。
冬になり、勉強にも身が入らない状態だった実地子も、学校で職場の説明を受ける。
図書室に本を返却する前に、第5巻の残ったエピローグを読みながら、実地子は物語をなつかしく思い出し、ジャックに呼びかける。
〈家出をしたあなたがマルセイユの街を 泣きそうになりながら歩いていたとき/わたしが その すぐ後を 歩いていたのを 知っていましたか?〉
〈いつも いっしよでした/たいがいは 夜/読んでいない ときでさえ/だけど まもなく/お別れしなくては なりません〉

外の雨と、実地子の頬の涙が重なった時、『チボー家』の世界の人々が問いかける。

 ――極東の人/どちらへ?
〈仕事に…/仕事につかなくてはなりません〉
 ――それはそれは
 ――なるほど
〈衣服に関する/仕事をします/……たぶん/服の下に 着る物を 作ります/これからの 新しい 活動的な〉
 ――ふむ それは重要だ
 ――たしかに
〈革命とは やや離れますが/気持ちは持ち続けます〉
 ――成功を いのるぜ
 ――若いの!



春が近づき、その本買うか?と父に聞かれても、実地子はいいよう、と断る。〈好きな本を/一生持ってるのも いいもんだと/俺は/思うがな〉と笑う父。実地子の眼に、黄色い本の奥付が映る。チボー家の人々(全五巻)第五巻。訳者 山内義雄。一九六六年五月十日三八版発行。白水社。


図書室に本を返し、実地子はジャックと別れの日を迎える。自分で本棚に収めた5冊の黄色い本が並び、ジャックは実地子に呼びかける。

 ――パリでぼくを尋ねるならば
   ユニベルシテ町に兄がいる
   留守の場合は メーゾン・ラフィットへ
   ことづけてくれれば連絡が
 ――知っているわ リラの花の咲いている家でしょう
 ――良く 知っているね 
 ――ええ
 ――いつでも来てくれたまえ
   メーゾン・ラフィットへ




『黄色い本』が多くの人々に読まれ、高い評価を受けたのは、大人になる前の実地子とジャック・チボーの物語が、多くの人の読書体験に重なったからだろう。ちがう時代や性別や本だとしても、実地子のように現実の生活の中で、対話し、考え続けながら読む。そして、いずれは自分で生活していかなければならない。ジャックはいつでも待っていて、実地子はいつでもメーゾン・ラフィットへ行ける。図書室の本が手元になくても。
c0095492_1442497.jpg

高野文子は、少年少女向けの、2003年発行の白水社『チボー家のジャック』新装版の装丁をてがけた。黄色い本の函にかかった茶色い帯には、このような言葉が書かれている。

《ジャック・チボーとは学校の図書室で出会った。その日から、彼は私の大切な友達になった。》

c0095492_1442449.jpg


           《――いつでも来てくれたまえ
              メーゾン・ラフィットへ》




[PR]
by bookrium | 2009-10-08 02:07 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)

半村良『能登怪異譚』

〈おら長男(あんか)や、無愛想(あいそむない)な男やさかい、宴会(よばれ)ども行ったかて、いつまでもあして黙っているのやわいね。そやけど、あんたさんのことを嫌がっとのやないげさかい、気にせんといてくだしね。〉「簞笥」

c0095492_22533260.jpg

1987年に集英社から発行された、半村良の『能登怪異譚』。半村良の小説は、これと、伝奇SFという言葉も知らない高校生の時、友達にすすめられた『平家伝説』(銭湯の謎と平時忠と最後びっくりしたことしか覚えてない)しか読んだことがないです。

上に引用したのは「簞笥」の出だしの部分。「簞笥」は有名な話で、最初はアンソロジーで読みました。ザムザみたいにある朝目が覚めたら虫になるのと、市助みたいに家族が簞笥に乗るのと、どっちが不条理かなぁ…と思う(村上豊の挿絵が怖いので簞笥か?)。

この本には、「簞笥」「蛞蝓」「縺れ糸」「雀谷」「蟹婆」「仁助と甚八」「夫婦喧嘩」「夢たまご」「終の岩屋」という九つの話が収録されています。どれもよいけど、「縺れ糸」と「夢たまご」が好きです。
これらは能登の方言を使った、半村良の創作小説です。半村良は母親が能登の人らしく、戦時中疎開していたらしい、とも。はっきり能登のどのへんか曖昧ですが(悪戯をてんごう、と言うのははじめて知ったけど、どこだろう?)。
方言のせいで、実際の民話だと勘違いする人も。
すべて能登の(年寄りの)話言葉で書かれているのですが、わたしは結構自然に読むことができました。
このお話の〈能登〉はたぶん奥能登でしょうが、特に能登のどことも書かれてないです。実際は地域ごとにことばがちがうので、そのあたりを比べてもおもしろいかもしれません。写真の岩だらけの外浦(奥能登北部沿岸)・砂浜の内浦(奥能登南部沿岸)で、風習やことばも違います。
加能作次郎(富来)や杉森久英(七尾)の作品でも、能登のことばがちょっと違ってると思います(関係ないけど、バス停には奥能登一帯のバス停路線図があるのですが、門前を南下した剣地〜富来の間だけ省略されてて、加能作次郎って遠いなぁと思う)。

c0095492_22533219.jpg

c0095492_22533284.jpg

『能登怪異譚』に出てきた言葉で特色あるなあ、と思ったことば。はじめて聞いた、知らないのもあった。

夜(よさる)、男の子・男児(ぼんち)、駄目(だっちゃかん)、少し(ちょっこり)、面妖な(もっしょい)、此様(こんなが)、悪戯(てんごう)、女房(かあか)、沢山(ようけ)、供(た)する、穏和(おっちゃい)な、恐(おっとろ)し、田舎(ざいご)、変な(もっしょい)、気味(きび)、子供達(ぼんらち)、ご坊様(ごぼさま)、親類(いつけ)、寒(さぶ)い、諾(おいね)、父達(とうとらち)、小(ちょんこ)い、訪(たん)ねて、……


c0095492_22533292.jpg

c0095492_2253327.jpg



能登怪異譚 (集英社文庫)
半村 良
集英社
売り上げランキング: 460,484

[PR]
by bookrium | 2009-10-03 17:51 | 北陸の作家 | Trackback | Comments(0)

c0095492_21222997.jpg
c0095492_21222917.jpg
c0095492_21222924.jpg
c0095492_0202979.jpg
c0095492_21222951.jpg


〈この浦に蓮の根を噛むふるさとの糸曳くはちすうら恋につつ〉
尾山篤二郎

〈ほのぼのと 舟押し出すや 蓮の中〉
夏目漱石


写真は前に撮ったもの。
漱石の蓮は、睡蓮のことを言ってるのだろうか(蓮の中に舟出せるのか?と思って。でも、水深が深いと蓮の浮き草ばかりになって睡蓮のような状態になるそう)。

蓮の花は夏の早朝に開いて、お昼過ぎには閉じるそうです(咲くときにポンと音がするともしないとも言われます)。
花の開閉を3日繰り返し、4日目には、開いたまま花びらを落として散ってしまいます。

蓮の葉は水滴を弾くようになっていますが、昔の人は「碧筒杯(ヘキトウハイ)」という、葉に酒を注いで長い茎の下端をくわえて飲んだりしたそうです(現代でもやってみた人の写真を見た)。


蓮の花言葉は、「神聖、純潔、清らかな心、離れゆく愛、遠くに行った愛、沈着、休養」など。
[PR]
by bookrium | 2009-10-02 21:22 | 本のまわりで | Trackback | Comments(0)