〈bookrium=book+aquarium〉本の海を回遊するブックリウムの、本と陶芸のある生活です。


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三浦哲郎『笹舟日記』

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写真は奥付。昭和48年5月発行。あとがきで著者は、〈これは昭和四十七年四月から翌四十八年三月までの一年間、毎日新聞日曜版に連載した小品のすべてを収めたものである。〉と書いています。

三浦哲郎の名前を知ったのは、高校生の時だった。
現代文の資料集の国語便覧(もうそれは無くしてしまったが)に紹介された近代の作家の略歴と作品紹介と、顔写真ではなくなぜかリアルタッチのカラーイラスト。泉鏡花とか中島敦とかの中で、三浦哲郎にひときわ衝撃を受けた(この3人以外誰が載っていたか覚えてない)。
自分の6歳の誕生日に海へ自殺した次姉、同年夏に長兄が失踪、翌年秋には長姉が服毒自殺、最後には次兄も失踪してしまう。残されたのは年老いた父母と目の不自由な姉…自らの中に流れる〈暗い血〉に思い悩み、やがて文学で身を立てていくまでが簡潔に紹介されていた。思わず泣きそうになった。当時。
この人の書くものには嘘がないのではないか、と思った。
根拠はなかった。17、8の自分が信じただけで、それは外れてはいなかったようだ。

〈じぶんたちきょうだいには、滅びの血が流れているのではないかと思い、ならば末弟の私はその血の分析に生涯を費やしてもいい、などと考えるようになった。私自身、滅びの血の共有者なのだから、〉
「磯の香のする遠景」

三浦哲郎は昭和6年(1931)3月16日、青森の呉服屋に末っ子として生まれた。
6歳の誕生日に船の上から津軽海峡へ身を投げた姉。ハンドバックと短歌の雑誌1冊と、函館までの三等乗車券、万年筆だけを残して。姉は19歳だった。〈姉はなぜ私の誕生日に死んだのだろう。姉には自分の死ぬ日が選べたのに。〉姉の死因を知らなかった小学生の時に、口論になった相手に〈「汝(うぬが)の姉ちゃん、死んだべせ。イルカに食われて死んだべせ。」〉と言われ、姉が事故ではなく自殺だと知る。郷里の中学で教師をしていた頃、一度だけ姉と同じように真夜中の津軽海峡を船で渡った。暗闇の甲板で吐気をこらえながら、死んだ姉がイルカにまたがって海面を飛んでいく光景を想像する。〈それは勿論、私の勝手な妄想にすぎないけれども、妙に頭に灼きついていていまだに忘れられない。〉

旧制中学に在学中は文学に興味はなく、バスケットボールの選手として活躍し〈ハヤブサの哲〉の異名を取る。国体で金沢にも遠征し甘いお汁粉にびっくりしたり。中学を卒業し、3年目の受験でなんとか早稲田の政経学部に入学する。魚雷の技師を経て、深川の木材会社に働いていた15歳上の次兄から毎月の生活費をもらっていたが、昭和25年に次兄は舞鶴に行ったまま失踪してしまう。失踪前、日比谷公会堂で兄と美しい女性とリサイタルを聞いた。
〈兄をまんなかに、三人並んで、夜の街を新橋のガード下まで歩いた。ガード下の暗がりで、兄は不意に立ち止まると、「おまえ、帰れ。」と私にいった。「うん、帰る。」と私が反射的に答えると、兄はなぜだか、ふっと笑った。「そのうち、下宿へいく。」そういうから、「うん、待ってる」と私も笑って、女の人の方をみると、その人は私たちからすこし離れたところに立って、銀座の空の方を仰いでいた。表情はわからなかったが、暗がりに仄白く浮かんだ横顔が、目に残った。
 兄が失踪したのは、それからまもなくのことである。〉
「もういちど逢いたい人」

大学をやめて郷里に帰り、中学の教師になったがそれも辞め、沈滞した暮らしの中、生まれつき目の不自由な姉が〈「私たち、もう死んだ気になって、自分の出来ることをやってみるより仕様がないんじゃない?」〉と立ち上がる。琴の師匠になった姉の支援を受け、今度は早稲田の仏文へ進む(この頃出会った英文科の小沼丹に無理を言って卒論を見てもらった話を、高校生のとき他で読んだ)。

身重の妻と一緒に都落ちするが、学生時代に同人雑誌を見てもらった小沼丹の紹介で、東京でPR雑誌の編集の仕事にありつく。
『忍ぶ川』で芥川賞を受賞したのは、昭和36年、29歳のことだった(受賞時の写真が男前)。

読んでいて、印象に残るところが数多くあった。

旧制中学の生徒だった頃、戦争が終わって少女たちがモンペからスカートに解放されたのを見た時の新鮮な驚き。自分の寄りかかっていた銀杏の葉っぱを取ろうと、かわるがわるジャンプする女学生たち。話しかけることもできずに無関心を装う。笑い声が起き、見ると少女の一人が防火水槽の縁に爪先立って葉っぱを摘み取っていた。

〈初めてみる女の膝の裏側は、ふくらはぎよりももっと白く、赤子の肌のように柔らかそうで、すべすべしていて、薄い皮膚からなかの血管が青々と透けてみえていた。私はあたまがくらくらとした。(中略)瞼の赤い闇のなかにまだ女の白い膝の裏がくっきりとみえた。〉
「もういちど逢いたい人」

肌の白、血管の青、目を閉じて広がる赤、の対比があざやか。

東北の「座敷わらし」が、飢饉の際に間引きされた子どもたちの亡霊ではないかという説を知って、親近感を持つ。それは六人兄弟の末っ子の著者自身が、間引かれるはずの存在だったから。成仏もできず、無邪気な怨念を抱いてこの世をさまよう「座敷わらし」たちのために、『ユタとふしぎな仲間たち』という童話を書く。

取材で見ていた過去の地方新聞に、姉の投身自殺の記事を見つける。
〈姉の死をきっかけにして、私の兄や姉たちがつづけざまに似たような身の滅ぼし方をした。だから、三月十六日は、私の誕生日であると同時に、私たち一家の衰運の日でもある。〉
自分の誕生日、子供たちに囲まれてひとときを過ごす。
〈私は歌い、馬鹿話をしてみんなを笑わせ、木刀で剣舞の真似をし、子供たちの馬になり、逆立ちをし——挙句の果てには酔い潰れて、みんなに寝床に運ばれる。
 誕生日など、なければいいと思うことがある。〉
「三月十六日」

この本は40歳頃の著者が妻と3人の娘に囲まれた生活を通して、思い出すことを淡々と綴っています。短い小品の積み重ねから、三浦哲郎の半生が浮かび上がってきます。それがけして悲愴ではないのが、凄いことだと思う。



 
笹舟日記 (1973年)
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三浦 哲郎
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Commented by ハリー・ライム at 2013-10-21 00:32 x
もし、学生さんに、おススメの本は…と聞かれタラ、私はこう答えると思います。「国語の教科書。」
Commented by BOOKRIUM at 2013-10-23 21:01
ハリー・ライムさま、コメントありがとうございます。
日記を読ませていただきました。『笹舟日記』の「春は夜汽車の窓から」を読み返したくなりました。
国語の教科書も今になって思えば、評論や小説にエッセイに詩に古典もあって、名作をあつめていたなと思います。
by bookrium | 2009-11-26 10:22 | 好きな本 | Trackback | Comments(2)