能動的な読者――南陀楼綾繁『一箱古本市の歩きかた』
2009年 11月 18日

前に「いま気になるもの」として取り上げた、写真の中央にある南陀楼綾繁さんの新刊、光文社新書『一箱古本市の歩きかた』。
著者本人のコメントを読んで、たのしみにしていました。
まだ2/3しか読んでいないけど、おもしろい。どのくらいかというと、関連する紙モノの一部をぶちまけてこのような写真を撮る位に(『ミニコミ魂』の表紙みたいに撮りたかったけど、うまく撮れなかった……つづく)。

(つづき…写真は不忍ブックストリートMAP)
〈数十冊の本が並ぶ一箱というスペースは、その店主の読書や経験、生活が反映されたいわば「宇宙」である。その宇宙の前で立ち止まる人たちは、本を読み、本を買い、そして本と遊ぶという感性を持っていると、ぼくは思う。
紋切り型のように「読書離れ」や「出版危機」を叫ぶのではなく、もっと日常的な場所から、本の付き合い方を見直してみたい。そう考えて、ぼくはこの本を書いた。〉「はじめに」
第一部は「不忍ブックストリートができるまで」。2005年4月に始まった〈不忍ブックストリートの一箱古本市〉。夫婦(帯や中にも、内澤旬子さん描く〈しのばずくん〉のイラストが)の冗談みたいな会話が発端になってふくらみ、いろんな人が関わって、5年後に見えてきた課題。
第二部は「日本全国「ブックイベント」ガイド」。福岡、名古屋、仙台、わめぞ、中央線、米子、広島、追分、小布施、高遠、関西…。そして、商業誌にないフリーペーパーの精神。
第三部は「書とともに街に出よう」。インターネットが普及したこの20年ほどにおける、本と読者の出会い方の変化。教養主義的なスタンダードから、自由に幅広く読む姿勢への広がり。
巻末の「全国ブックイベント年表 二〇〇一〜二〇〇九」が凄い。全国へ広がってゆくのがよくわかります。
2005年から2009年まで、南陀楼さんは本を介していろんな人に出会い、いろんなイベントを体験します。読んでいると、いろんな土地のいろんな人たちが(生まれ年つきで)登場するのがおもしろい。未知の人、自分の出会った人、遠い土地の気になる店…読むと何かしら誰かに話したい気持ちになる。
発売前からすでにいくつものブログで紹介されているけれど、この本については、これから多くの場で語られると思います。それは、イベントに訪れた人、手伝った人、参加した人、主催した人だけでなく。本と人とネットの新しい関わり(の一部)を見られるので、喚起されるものがきっとあります。
第三部で書かれる「能動的な読者」という言葉が、非常に印象深かったです。
〈特徴的なのは、その本を「どう読んだか」ということよりも、「どうやって手に入れたか」という話題が多いことだ。また、本の内容(テキスト)だけでなく、文字の組み方やレイアウト、カバーの手触り、誰が編集・デザインしたかまでを含んでの、いわば「本の周辺」が語られている。〉
〈彼らは、読んだ本を身のうちに取り込むだけにとどまらず、そこで得たものについて多くの人と話し合ったり、情報として提供したりしている。読んだり、買ったりするだけでなく、本と遊んでいるのだ。ぼくは彼らを「能動的な読者」と呼びたい。〉
わたしは〈能動的な読者〉ではない。
読んでいる間、思い出すこと、地方のブックイベントについて思うことがいろいろありました。でもまだ言葉にまとまらない。〈追分コロニー〉にの記述には未来を感じます(行ったことない)。
南陀楼さんは自身のブログで、イベントの様子やこの本を作っている過程を書いていたので、ブログを読んでいた人は本になるのを待つたのしみもあったと思います。
数年前、北尾トロさんが地方の古本屋を巡る旅の様子を、連載みたいにメルマガに掲載して一冊の本にまとめていました(『ぶらぶらヂンヂン古書の旅』……この本は出来上がったの見たら自分の後ろ写真のってて、あぁ撮られてたんだ…と思った)。
雑誌の連載が本になるのを待ちわびるような感じで、ウェブ雑誌ではなくプロの書き手がメルマガやブログという個人発信を使い、本にするのを待つのは興味深いと思います。著者独自の魅力がないと成り立たないですが(そしてウェブよりおもしろくなければならないが)。
『一箱古本市の歩きかた』は、ひさしぶりにそういうおもしろさを思い出しました。
by bookrium | 2009-11-18 09:40 | 本のまわり | Trackback | Comments(0)
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