〈bookrium=book+aquarium〉本の海を回遊するブックリウムの、本と陶芸のある生活です。


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加能作次郎 美しき作家


〈加能君は一種の童心を――少年のみづみづしい感情をいつまでも持ち続けてゐたといつて好かつた。〉


作家の広津和郎は、「美しき作家」という文章の中で、友人の加能作次郎のことをこう追悼しました。

〈大正期の作家たちは、その芸で、その把握力で、又その人生観で、それぞれ華やかな仕事をし、人々の眼をそばだたしめたが、その片隅で加能君は若し気がつく人でなければその前を通り過ぎて行つてしまひさうな、地味な、小さな、ケレンのない仕事をした。多くの人々が気がつかずに、その前を通り過ぎて行つてしまつたとしても、或はさう無理でないかも知れない。併しひと度気がついて、それをぢつと味はつて見る人があつたら、その人はこの地味な作家の素裸かで何の飾りもない姿に、しみじみとした美を感ずるであらう。舌にとろりとするやうな滋味を感ずるであらう。〉

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写真は『石川近代文学全集 5』加能作次郎は「恭三の父」「厄年」「羽織と時計(W?B君を弔ふ)」「世の中へ」「乙女心」が入っています。「乙女心」以外は読みました(これだけ総ルビで読みづらい)。

加能作次郎のことは、扉野良人さんの『ボマルツォのどんぐり』にある「能登へ――加能作次郎」を読んだり、島田清次郎との関わりから気になっていた(本にはふたりで撮った写真も載っている)。
読んでみて、広津和郎の言う〈しみじみとした美〉という言葉が、とてもふさわしいと思う。
京都の街を歩く扉野良人さんは、能登から一人飛び出してきた「世の中へ」の〈私〉作次郎が見た京都に、身近さを覚えます。

〈一昨年に少年期を回想した「世の中へ」を読んだとき、それがおおよそ百余年前の京都を描いた小説とは思えない身近さを覚えた。(中略)考えれば奇妙なことである。小説の世界を、じっさい歩く風景のまま、そこにいるように読むことができた。〉


明治18年(1885)に生まれた(明治19年とも言われ、作次郎に自分の正しい生年はわからなかった)加能作次郎が育ったのは能登の外浦、今は志賀町になる富来から一里離れた西海風戸という漁村。
富来は訪れたことがないけれど、読んでみてやっぱり能登なんだなと思った。この辺りでも兄様(あんさま)弟様(おっさま)と言うんだなとか、在所とか、七海の御輿とあるけどこの辺はキリコはないのかなとか、恭三の父が「おれゃ食いとうない。お前等先に食え。」という言葉、能登丸出しだと思った。

読んだ小説はみな作次郎の人生をなぞるように、自分が居るために苦労する父、打ち解けられない継母や異母弟妹のこと、実姉と伯父を頼りに13で家出同然で来た京都、丁稚として住み働きをし勉学の望みも持てない生活、苦学して大学へ入り、夏季休暇に京都へ帰るか能登へ帰るか、結核で臥せっている異母妹が嫌でうじうじ悩む様も描いている。継子のいじ気根性がずっとあるけど、それは作次郎もわかっているのだろう。
「厄年」での死にかけてる妹と、大漁の鰹に生き生きとした父と兄弟の様子が印象的でした。子供の時に激しく自分を苛めた異母妹への憎しみと、死を目の前にした彼女へ継母や父の手前兄らしく気にかけたり、そんな自分のやましさに嫌な気持ちになったり。
子供の時、継母に怒られて船の中で父と子ふたりで一晩明かしたこと。継母たちに気を使う父と本当に話をできるのは海に出た船の上で、帰郷した子に父は金の心配はするな東京で偉くなれと言う(本当は田舎なので東京の大学へ行かせていることで周りにぐじぐじ陰口を言われているのだけど、その辺非常に能登らしいと思った)。

懐かしさだけでは語れない故郷を加能作次郎は描いています。

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平成19年(2007)に志賀町には「作次郎ふるさと記念館」ができました。閲覧する際は富来図書館へ申込をするようです。入館無料。
没後11年の昭和27年(1952)、生誕地の風戸に作次郎の文学碑が完成。除幕式には作次郎の小説に出てくる村の人たち、70、80になる人たちが集まっていたという。碑には「父の生涯」の一節が刻まれました。

 《人は誰でも
  その生涯の中に
  一度位自分で
  自分を幸福に
  思ふ時期を持つ
   ものである》


昭和に入り新しい文学の時流から外れてしまった作次郎は発表作が著しく減り、国策の戦争小説が氾濫する中で死の直前まで校正を続け、告別式に校正刷が届いた最後の小説集『乳の匂ひ』の序文でこう書いています。

〈私のこのような作品は、小説として本格なものかどうかの論はさし置いて、恐らく今日の時代に於て最も非時流的なものだらうと思はずに居られない。(中略)
矢張り相変らず、自分自身の片隅で、自分自身の声に耳を傾けながら、恰も靴屋が靴を作るやうに、こつこつと自分の身に敵った作品の製作に精進してゐる外はなかつた。〉


昭和16年(1941)56歳で亡くなった作次郎の法名、釈慈忍の「慈しみ」と「忍ぶ」という字は、とても合っていると思った。
広津和郎は「美しき作家」の最後をこう締めくくっている。

〈彼の幾つかのあの純粋な短編は大正文壇の珠玉であつたといふ事を、やつぱり誰かがいはなければいけない。それだから私がいふのである。繰返していふが、それは友情からではない。私の批評眼がいはせるのである。〉


加能作次郎の小説には、しみじみとした澄んだ美しさが広がっています。

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by bookrium | 2009-05-15 12:51 | 北陸の作家 | Trackback | Comments(0)