〈bookrium=book+aquarium〉本の海を回遊するブックリウムの、本のある生活です。


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追記…泉鏡花『櫻心中』

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きのう書いた〈当世本二十四節気〉の『櫻心中』で気になることを少し。

『櫻心中(桜心中)』を調べて紹介される物語は、読んでみて違うのじゃないか? 自分の読みが違うのか? と気になりました。
よく紹介される話は、寺町の松月寺の大桜がモデルの《江月寺の君桜》が、伐られる悲しみから夫と慕う兼六園の旭桜がモデルの《富士見桜》へ、人間の女性の姿となって別れを告げに行く……というもの。花の精が兼六園の桜に暇乞いに行き、書生に声をかけられる話、と紹介されているのを見ました。
読んでみて、花の精ではないと思う。

《富士見桜》に会いに行ったのは〈松村雪〉という美しい女性。死にに行く人に思えて、夜の兼六園で彼女に声をかけた書生の〈宮田七穂〉。
話を聞くのに心を落ち着けようと七穂が煙草に火をつけた時の、雪の描写が美しいと思った。

〈彼は故(わざ)と見ないやうに、傍目も触らないで火を、目と鼻の間で點(てん)じた、それでも、同一(おなじ)うしろ姿を、はじめよりは鮮麗(あざやか)に、くつきりと白い襟と、圓髷の艶を見た。齋(ひと)しく色に立つたは、黒縮緬の羽織の紋で、それは梅鉢の裏であつた。
 で、婦人の衣(きぬ)が、するすると柔かに冷たく近づいて、我が袖に、手尖の、そつと触れた時、七穂は、過去(すぎさ)つた雪を捜つて、こゝに櫻咲く朧夜の底をヒヤヒヤと何處へか沈んで、春を後戻りしつつ、梅の花に手が届いたやうな心地がした。
 衣の薫も気勢(けはひ)の香もそれであつた。〉


自らを《江月寺の大桜》と名のる雪。話を聞けば、彼女は16歳で結婚し、杯を交わした3日目に主人を亡くしてしまったのだという。未亡人として世間から離れ、東京上野の奥で7年墓に居るように暮らしていた。
金沢は急逝した夫の故郷だった。故郷の土には夫の眺めたのと同じ草の芽ぐむ姿もあろうかと、そっと来沢して3年になる(雪の歳は数えで26か。七穂もそんなに変わらないと思う)。
江月寺は、死んだ夫の古い邸、俗に寺町御殿と呼ばれる子爵松村家の舘のそばにある。雪はとある伯爵の妾腹で、世にきこえた美しい姫だった。
古御所のような奥に隠れてひっそりと暮らしながら、忍びづくりの二階から、江月寺の大きな《君櫻》の咲くのを、それでも楽しみに眺めて過ごしていた。
その《君櫻》が軍隊に伐られてしまうと聞き、あまりにはかなく、なごり惜しく思い、《君櫻》がこがれていると云われのある、夫と思う《富士見櫻》に、桜の代わりに成ったつもりで、別れを告げに来たのだ。

〈「ねえ……三日添つて亡く成る時、私は、なごりを惜しみました。
  が、私が伐られて枯れると云うのに、花は口を利かないのですもの、もの足りない、たよりが無い、思出して我慢が出来ない。」〉


《君櫻》と自分を重ね合わせて会いに来ても、《富士見櫻》は夫は何も答えない。夜桜の下にひとりで佇み、そのまま消えていくような気になり、露がこぼれるように涙を流す。鬼でも魔でもいいからものを言って欲しいと思った時、声をかけてきたのが七穂だった。一生のお願いだと、桜の代わりの言葉を求め、話を聞いた彼が発した言葉が、

〈「一所に死にます、……然ういふより他は断じて知らない。」〉


それを聞いて雪はぱたりと土に膝をつく。美しい魅物(つきもの)の落ちたように。
今夜の記念(かたみ)にしようと内緒で切った《富士見櫻》の小枝。桜の代わりの七穂に許しを乞い、夫に聞いて、髪に挿したいと雪は言う。七穂の許しを得て、雪は生まれてはじめての嬉しい心の記しに、彼が暗闇の中マッチを擦った一瞬に、自らの小指を切り落とす。雪の突然の行動に慌てる七穂。血汐をほとばしらせても、七穂に思いを話す雪の姿は凛としている。

〈「縁があつて添つた人にも、三日で分かれた覚えがあります。苦みは三年五年、悲しみは七年、九年、嬉しいのは瞬く間、其の瞬く間の心のまゝに、思つたことをしないぢや、死ねば又地獄ぢやありませんか。
  はしたない、娼妓、女郎のするやうな事をいたしました。ですけれど、唯一息に、心のまゝ、思ふ通りにすることは、女の身は、もしか、それが女なら、天女と云つてもおなじです。人妻もおなじです。……
  私は、貴方が、なりかはつてお許し下すつた、一枝の、花のかはりに切りました。が、汚らはしいもの、貴方はお受取り下さいますまい、……貴方には差上げません。おなじ櫻の花片(はなびら)も流れ傳(つた)つて、白糸の瀧に沈みませう。私は水に流します。」〉


雪はそう言って、切った小指を流れに棄てた。


……この後、ふたりの前に颯爽と現れる青年士官や、悪役の盲人も、鏡花らしい展開です。
物語の冒頭で雪は盲人から籠の鶯を空へ逃してやるのですが、鶯は世間から隠れて生きてきた雪自身のようでした。
雪の着物に入った梅鉢紋や、江月寺そばの松村子爵邸からわかるように、モデルは前田家なのでしょう。ひっそりと世に隠れて暮らす雪と、大きな《君櫻》が馬の邪魔で伐る軍隊は、旧い体制と新しい国家でもあります。凛として《君櫻》と共に国の為に伐られようと覚悟する雪。滅びる者の美しさ。

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そんなに長い物語ではないのに、雪の過去、七穂が過去に自殺を止められなかった女工、義経主従に《君櫻》と《判官櫻》……と細かなエピソードが心に残ります。七穂が雪に話しかけた時に、兼六公園の夜の森でも、この栄螺山は唯一ヶ所の鬼門だと言うのも印象に残りました。《富士見櫻》と町を隔て、川を隔て、向かい合って立つ、幹が五株に分かれた大きな松。そこに棲む魔の神が、時々栄螺山に遊びに来るという。その松のある山の奥には、七穂の死んだ両親が眠っている……。
この松はたしか実在した気がします。どこか忘れたけれど。

鏡花の作品は『高野聖』や『天守物語』など数えるほどしか読んだことがないのですが、エピソードとイメージが水紋のようにいくつも重なっていておもしろいと思います。

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by bookrium | 2009-04-06 22:23 | 北陸の作家 | Trackback | Comments(0)