〈bookrium=book+aquarium〉本の海を回遊するブックリウムの、本のある生活です。


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清明――『櫻心中』

清明(せいめい)……すがすがしくて明るい。草木が芽ぶき、万物清く陽気になる時期。
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〈「あゝ、嬉しい。此で思ひが届きました。堪忍して下さいまし、私は人間ではないのですよ。」
 「あ、貴女は?」
 「お化けではありません。」
 「貴女は?」
 「幽霊ではありません。」
 「貴女は?」
 「ですが、人間ではありません、其の御婦人ではありません。」
 「貴女は?」
 「非情のものです、草木です、木の幻です、枝の影です、花と云ふのは、恥しい、朧をたよりの色に出て、月に霞んだ桜ですよ。」〉


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写真は1987年第3刷の岩波書店『鏡花全集 巻十六』。香の表紙や見返しの紫陽花が目にあざやかな本。
「櫻心中(桜心中)」は大正4年(1915年)に発表された、泉鏡花が42歳の時の作品です。多分文庫に入ってないと思います。兼六園の旭桜と寺町の松月寺の大桜をモデルにした話だとは聞いていたけれど、読んだ人の話が見つけられなかった。断片の情報から思っていた話とは少し異なったけれど、おもしろかったです。

鏡花の小説に出る若者は、女も男も、凛として清々しく美しい人たちです。主人公たちの名前も、いつも涼やかで。


物語は兼六園の茶店《面影亭》からはじまる。主である元女形の太夫から、盲人の旦那〈下川忠雄〉が美しい声の鶯を三十両で買って黒焼の薬にしようと話し合っていたところ。離れ座敷の女客が朱塗の籠から鶯を逃してやる。激昂する太夫や下川の前で、女は逃げも隠れもせず〈松村雪〉と名のる。

夜の兼六園、東京の学校を出て翻訳をしている青年〈宮田七穂〉は、《富士見桜》の元から彷徨う女に声をかけた。

〈「あゝ、貴女、何處かへ行つてお了(しま)ひなさりやしませんか。」
  と却て一歩(ひとあし)引いて言ふ。
  花が揺るゝやうな幽な気勢は、暗きに息する女の胸、それが、水よりも高く響く。
 「否(いいえ)、こゝに。」〉


七穂が声をかけた女は雪だった。彼女が自殺しそうに見えて呼び留めた七穂には、十年前に全く同じ場所で見かけた女性の自殺を止められなかった過去がある。女性は手巾工場の刺繍の女工だったが、ふと、下絵になかった観世水を縫い、盲人の工場主人から追い出されて塞ぎ込み、観音様へお参りすると家を出て、公園から百間堀に身を投げてしまった…。

〈「年月を経ても忘れません。
  其の人が、花やかに成つて、同じ處を、同じ姿で、今夜、公園の櫻の中を又歩行くやうに見えました。
  御容赦を願はなければ成りません、其が貴女です。女神とも、天人とも、人を離れた御様子が、其の時の口惜しさにつけても、何しても、死にに行く、覚悟したお姿としか見えなかつたのです。思切つてお呼留め申したのです。」〉


たしかに自分は死にに行く気だと話す雪。だが、彼女は自殺をするのではなく、人に殺されるのだという。

〈「たよりのない、遣瀬のない、果敢ない私を、死骸だと思つて抱いて下さい、死骸はたとひ、身體はたとひお可厭でも、魂だと思つて、堪忍して、一度貴方、抱きしめて下さい、それなり、消えるやうに、なくなりますやうに、……」〉


この後が冒頭の引用部分。
雪は自分を、犀川を隔て兼六公園と向かいあった寺町の《江月寺の櫻》だと言う。義経主従が憩いをとった記念に《君櫻》と呼ばれ、恋しい男に両手を枝を伸ばしている。…その相手が、《判官櫻》とも言われるこの公園の《富士見櫻》。

〈「千年か、萬年か、命は男に捧げても、記念(かたみ)も名も残つて居たのに、其の木が、伐られて死ぬんです、滅びて了ふ、枯れるんです。……
  斧で打ち、鋸でひき、劍で裂くのは軍隊です。(中略)
  槍は北斗の星をも貫き、旗は雲井に翻るべきものなのです。鬣の乱れるのは、崩るゝ女の黒髪よりも大切です。
  切られなければ成りません。枯れなければ成らんのでせう。(中略)
  私は今夜、夫と思ふ富士見櫻に、別を告げに、暇乞いに、なごりを惜みに来たのです。
  君櫻は朧の中を、花の精が抜け出して、」〉


寂しく笑う雪にはまだ悲しい本当の姿があった。君桜の代わりに雪はものを言う。花の中に立つ七穂に、富士見桜の代わりになって君桜へ、死んだ美しい女工に言うと思って、花の心に添った言葉を求める。七穂は雪にこう言う。

〈「櫻の貴女、私も男だ、一所に死なう。」〉


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この後の雪の行動、幕引きまで、兼六園の暗闇の桜の下での物語。鏡花の文章は涼やかに、雪のうなじの白さや香りを描いています。波津彬子先生の漫画で読みたいです。
死んだ女工が印象深く描かれているのは、鏡花自身が21歳の時にお堀に身を投げようと考えたせいかもしれません。
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寺町の大桜はあの寺のかなと浮かぶ木があります。写真の兼六園の旭桜は雁行橋の近く。この桜は鏡花の頃の桜の2代目です。この他にも、兼六園を舞台に鏡花は色んな小説を書いています。
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by bookrium | 2009-04-05 23:32 | 当世本二十四節気 | Trackback | Comments(0)