清明(せいめい)……草木が芽吹き、百花咲き競う時。すがすがしくて、明るいので、こういう名前がつきました。
〈なんだかよくわからないけど、何かを始めてみたいので「新月いわし洞通信」なるものを発行してみることにしました。〉「一九九六年二月 新月いわし洞通信」
『新月いわし洞通信』という、個人でまとめた、一冊の本があります。
東京での出版社の営業の仕事から、結婚、金沢での書店員のアルバイト、夫の実家である能登での暮し、子育て、書くということ。
「新月いわし洞」さんを知ったのは、このブログのコメント欄に書かれた、ご本人の書き込みでした。
メールマガジンを読み、本を出されていることはHPで知り、一箱古本市でお会いした時に購入しました。
ひとりの女性の十二年の言葉が詰まっています。
ときおり、言葉がむきだされ、はっとさせられます。
村上春樹と河合隼雄の対談集を読んで、
〈「ああ、わたしは心の中に「井戸」を掘りたかったんだ、」〉「一九九六年十二月 心の中に井戸を掘ること」
〈(前略)もういい加減「今の自分は本当ではない」「本当にやりたいのはこんなことではない」と言うのはやめようと思います。「今の私は本当の私」だし、「私はやりたいこと充分に」やっています。〉「一九九六年三月 私の「道」を仕事にする方法」
〈小さい頃から、人に向かって、もしくは相手を目の前にして、話をするのが苦手だった。相手が親であれ、姉妹であれ、同級生であれ、私のいいたいことが一〇〇%伝わったためしはなく、いつも話を途中でさえぎられたり、聞き間違えられたり、いつのまにか相手が自分の話を始めたりで、私はいつしか積極的に話すことをあきらめた。
かといって心の中で考えたり思ったりすることを止めたわけではなかったのだけれど、よくわからない想いや気持ちは名づけられないまま心の深くて暗い押入れの中にどんどんほおり込まれ、ある時それが爆発するまで、私は自分に気持ちがあることさえ忘れていたのではなかっただろうか〉「二〇〇七年十二月 あとがきにかえて」
この「新月いわし洞」はこの先どんなふうになっていくのだろう、と思います。流動的な未来を感じます。
そして、読むたび、この本のことばは、自分に跳ね返って問われているように感じています。